原因を推論する 第6章 原因の時間的先行

 本章P117では、優良企業を説明する際に集めたデータの大半は雑誌や新聞や企業の刊行物からなりもので、ハロー効果で歪められているおそれがある。また、経営者にインタビューをしてもハロー効果に影響されやすい、という。そこで、私たちはチーム研究でインタビューを行う際に、どうすればハロー効果の影響を回避できるかをディスカッションのテーマにした。これだけでは議論がしにくいと考えたので、三つの前提を提示した。一つ目は、インタビューに行く私たちはハロー効果の影響を受けていること。二つ目は、ここでの企業とは○○業界の中で1位のような企業であること。三つ目は、ここでのハロー効果を回避とは、効果を弱めるという意味であること。四つ目は、このディスカッションの目的としてインタビューは、優良企業であるかを明らかにする話しではない。どのようなインタビュー方法をするか、準備をすればハロー効果を回避できるかである。これらを踏まえて議論を行った。
 
 はじめに意見があまりでなかったので、こちらからインタビューに一回だけでなく、複数回行くことを提案した。なぜなら、私たちはハロー効果にかかっているので、一回のインタビューでは経営者からの話しを鵜吞みにしてしまいがちと考えたからである。それに対してフロアからの複数回インタビューを行っても、ハロー効果を受けているから意味がないのではないか、という意見が出た。それに対して、常にインタビュー相手に対して疑問を抱くという意見がでた。複数回行くだけならハロー効果を受けてしまうだけかもしれないが、その都度疑問を抱けば、ハロー効果を回避することができると考えるからである。

 次に、その企業にインタビューするのではなく、同じ業界の2、3位に聞いてみるという意見がでた。その企業に聞くよりは客観的に意見を聞くことができるので、回避することができると考えるからである。回避するという点で、他社に聞くのではなく経営者のトップじゃない人に聞くという意見もでた。例えばトップがいない時に、同じ質問を社員にしたら違う意見が出てくるかもしれないからである。しかし、その企業自体にハロー効果がかかっているので、社員だからといって回避することは難しいという反対意見もあった。

 他の意見として有価証券報告書を事前に見ておき、自分たちで推測したりするという意見があった。これを行うことで自分たちの中で何が本当なのかを考えることができ、すべて鵜吞みにすることはなくなるからである。他にも企業についての情報を集めて年表を作ってみるという意見もでた。事前にその企業について理解しておけば話しを鵜吞みにすることなくなるからである。この意見に付随して、成功の要因を聞くだけでなく、うまくいかない点があったそこも聞いてみる、というのもでた。あえて同じ業界でうまくいっていないところにインタビューし、なぜ対象の企業がうまくいってるかを考察すれば回避できるという意見もあった。
 
 以上のようにハロー効果を弱めるために様々な意見が出て議論を行った。議論を通してハロー効果を回避するためには、インタビュー前の準備が大事である。その企業に対して、何をやっていたか、現在何をしているか、創業から現在までの事実を知ることがハロー効果を回避することにつながると考える。この議論は今後のインタビューだけでなく、卒論や就職活動にまでつながると考え、今後に役立てたい。

よしかわ(3年)

原因を推論する 第3章 観察、説明、理論

 本書では、タイトルにあるように固有名詞を捨てる意味について述べられている。また、本章p.51では、リフォード・ギアツによって提唱された一般化に対する批判について記述されている。クリフォード・ギアツは、現実の社会や歴史を一般化し単純化することへ批判しており、その意味を他者に理解できるように描く分厚い記述の重要性を主張している。つまり、観察対象から固有名詞を排除して、一般的・理論的に説明しようとする試みを批判すべきものとしているのである。

 ここで、対象を人間とした場合に固有名詞をどのくらい重視すべきなのか、疑問に思いディスカッションのテーマとした。この課題を解決するプロセスとしては、まず、ゼミ生全員になぜコミュニケーションができないのかアンケート調査を行う。次に、その結果に基づいて以下の二つからマネジメント方法を考える。仝罵名詞で見る:アンケートに基づいてゼミ長自ら一人一人にアプローチをしていく。 抽象化・単純化して見る:アンケートを抽象化され単純化し、ゼミ生全員に解決策を提示する。さらに、ディスカッションの前提条件として、4点設定した。 ー分自身が30人規模のゼミ長であると仮定する。(期間は1年間) ▲璽濱犬漏Д灰潺絅縫院璽轡腑鵑靴燭い韻匹任てきない状況、またその原因は個人にある。 その人自身の問題が解決されることを目指す。 ぅ▲鵐院璽箸硫鹽項目は一人ひとつとする。

 意見としては、「固有名詞で見る」と考えた人から、ひとりひとりの背景を知ることで根本的に問題を解決することができる。次のゼミ長に引き継いで貰えば1年という期間を考慮する必要がなくなる。個々のコミュニケーションから始めていけば調和が生まれる。などの意見があった。一方で、「抽象化・単純化して見る」と考えた人からは、ゼミ長の負担を軽減することができる。ゼミ全体で共有することでのコミュニケーションが生まれる。1年という期間を考え、短期的に効果の見込める方を選択すべき。などの意見があった。
また、「固有名詞で見る」と「抽象化・単純化して見る」以外の意見としては、そもそもこの解決すべき人物はゼミ長である必要はないのではないか、ゼミ長が他のゼミ生に託すなどの分担を行うなどの意見が見られた。最後に多数決を行ったところ、「固有名詞で見る」が8名、「抽象化・単純化して見る」が16名だった。

 わたし個人の意見としては、対象を人間とした場合に抽象化・単純化する必要はなく、固有名詞で見た方がゼミ生へのアプローチとしては相応しくゼミ生の意見も「固有名詞で見る」が多いのではないかと考えていた。その人ひとりひとりの理解を深めてアプローチを取ることがゼミナールにおいてコミュニケーションの問題を解決することに繋がっていくのではないだろうか。また、今回のディスカッションポイントに中野ゼミという言葉を入れなかったのは、ゼミ長ひとりが必ずしもこの問題を解決する必要はなく、ゼミ生皆がその意識を持つことが大切であるという考えがあったからである。1年という期間が短いため、抽象化・単純化した方が良いという意見もあったが、皆がその意識を持つことで皆1年という期間に制限される必要はない。今後、ゼミ生皆にこのような意識を持ってもらいひとりひとりの理解を深め、積極的にアプローチをして欲しい。

きむら(3年)

原因を推論する 第4章 推論としての記述

 本章p78で質的研究では研究対象に「ドップリ浸り」、多くの観察可能な含意を確認する佐城が必要である。しかし、自らの研究対象にドップリ浸りすぎてしまうことで周りが見えなくなり、不正確な思い込みに基づき事実認識をしてしまうことがあると述べられている。そこで、今回は「量的研究においても研究対象にドップリ浸る必要があるのか」についてディスカッションを行った。量的研究とは、複数のサンプルからデータを収集し、事象を数値化し、統計的に分析する方法である。また、今回の議論でドップリ浸るとは、「自分の研究対象について深い理解を持つこと」定義した。

 まず、量的研究においてドップリ浸るとはどういうことなのかについて議論が行われた。量的研究の具体例として、大学の教授が自分の担当する授業の受講者の授業満足度と参加率についてという調査を統計的に分析する場合についてとりあげた。ここでのドップリ浸る対象者は授業の受講者全員を指す。これを踏まえ、調査に基づいた分析結果について考察するだけではなく、研究対象者である受講者に対してさらに深い理解を持つために研究を行うことが量的研究においてドップリ浸ることであると意見が出た。

 ここまでの議論を踏まえ、ドップリ浸る必要があると考える意見では主に3つの意見が出た。一つ目は、自分の研究対象をより深くみていくことで研究のなかででたデータをさらに有効的に活用する方法をみつけることができるという意見である。研究対象の性質や特性なども考慮して研究をしていくことでさらに良い研究になるということふことが必要であるためという意見である。三つ目は、統計的に出された結果だけではなく、現実の実態についてもより見ていく必要があるという意見である。統計的に有意であると結論付けられた研究であったとしても、現実のとは違うのではないかと疑問に思う場合がある。そのため統計のよって出された結果をだけではなく、研究対象についても深い理解を持ったうえで研究をすることが必要である。

 一方、ドップリ浸る必要がないと考える意見として2つの意見が出た。一つ目は、量的研究では正確な数値の統計データや分析必要になるためデータに対して詳しい理解は必要であるが、研究対象にはドップリ浸る必要はないという意見である。二つ目は、ドップリ浸ってしまうと周りが見えなくなってしまい、研究対象が特殊であると不正確な思い込みから事実の認識をしてしまう場合があるため、数値を扱う量的研究においてはドップリ浸るべきではないという意見である。

 最終的にゼミ生に多数決を取ったところ、量的研究においては研究対象にドップリ浸る必要はないという人が多かった。中野ゼミナールでは質的研究と量的研究を合わせて現象を明らかにしていく研究が行われる場合も多い。量的研究で行われる統計的な調査では検証し、結果が出た場合そのままで終わらせてしまうことがある。その結果を鵜呑みにせず、なぜそのような結果が出たのかという疑問をもち研究対象についても深くみていく必要がある。一方で、研究対象が他と比較してどのような特色を持つのかについて調べていくためにも研究対象にドップリ浸らず客観的視点をもって研究を行っていくという二つの視点が研究においては重要である。

よこせき(3年)

原因を推論する 第1章 説明の枠組み

本書P15にある因果関係が成り立つ3条件を意識しながら議論をするには、どうすれば良いのかという議論を行った。議論の展開は、意識するべきポイントを述べてもらい、そのポイントを意識するにはどのようなことを心掛けなければならないのかということを議論するというものであった。
 
 まず、意識するべきポイントとしては以下の3つの意見が出た。
・常に、因果関係を意識すること。
・ある事象が、本当に原因の結果なのか判断する。
・時間軸を意識して意見を述べる。
 3つの意見が出た際に、フロアからブレストだけで議論が終わるのではないかという指摘があったため、ここから次の展開に移った。

次に、上述の3つの意見を意識しながら議論をするにはどうすれば良いのかという議論をした。そこから以下の四つの意見が出た。
・自分だけではなく、他者と一緒に一つの事象について分析・検討する。
・多数派の意見だけでなく、少数派の意見もしっかり聞く。
・現状を把握すること。
・発言した人の意図を考えること。
このうち、議論をしていくということは、相手の気持ちを考えければならないという観点から、「発言した人の意図を考えること」についてどうすれば良いのかという議論が最も展開された。
その具体的な手法として、以下の二つのことが主張された。一つは、それをするためには、単純に発言した人が、なぜそう考えたのかということを考えることである。ただ、それを考えるのは難しく、たとえ推測できたとしてもそれが誤っているときがある。そこで、意図を知りたかったら、その人にその意見を出した思考プロセスを聞くのが先決ではないのかという指摘があった。
もう一つは、相手の振る舞いを見るというものである。ここでの振る舞いとは、話し方や表情、姿勢といったものである。ただ、意見を聞くだけでは分からない部分があるので、意図を考えるには話している人の目を見ることが重要だという意見が出た。

最終的に、この二つのことをするには、日ごろからコミュニケーションを取らないといけないのではないのかという結論に達した。また、近頃、ゼミにおいて話している人ではなく下を見て意見を聞く人が多い。それだと、話している人の意図が分からないので、しっかり相手の目を見て議論するのが肝要であると、この議論を通じて改めて気付かされた。今後、議論をしていく際に、相手の目を見るということと日頃から、コミュニケーションを取ることをゼミ生全員で意識していかなければならない。

うめはら (3年)

原因を推論する 第2章 科学の条件としての反証可能性

 本書p41 文化論的説明の論理的問題においてステレオタイプが挙げられている。そこで、今回は「ステレオタイプから抜け出すにはどうしたらいいのか。」についてデスカッションを行なった。また、本書におけるステレオタイプと私たちのステレオタイプの2つの面から議論が進められた。

 まず、本書におけるステレオタイプを抜け出すにはどうしたらいいのかを議論した。ここでは主に3つの意見が出た。一つは、現地に赴いて情報収集をすることだ。インターネットや他人から情報を聞くことには限りがあり、偏りがある。また、噂が広まることで信憑性に疑問が残ってしまう。これらが要因となってステレオタイプになる。しかし、実際に現地に行き、自分の目で見たり聞いたりすることで確からしい情報を得ることができる。結果、ステレオタイプの正誤を見極めることができるようになる。二つ目は、主語を特定の個人にすることだ。主語が複数人(ex.アメリカ人)をあらわしていると、大多数の人(ex.他のアメリカ人)も同じイメージになってしまう。そこで、主語を特定の個人にすることで、その個人だけのイメージができ、ステレオタイプに陥ることがなくなる。三つ目は、文化に定義づけをすることだ。二つの文化を説明する際に、文化背景が異なることから文化ごとにステレオタイプができてしまうことが問題であった。そこで、文化背景から共通の軸を見つけ、定義づけすることでステレオタイプに陥らないだろうという意見が出た。なぜなら、どこかで定義づけを行わなければ反証不可能になり、文化論的説明ができないからだ。しかし、文化の定義づけは可能なのかという疑問が出された。そもそも国ごとで生活様式や文化が異なるため、共通項は見つけられないとの意見が出た。ただ、文化の定義づけを行わなければステレオタイプを抜け出すことができない。文化の定義づけとステレオタイプを抜け出すことで議論が迷走し、それ以上の意見は出てこなかった。

 一方で、私たちのステレオタイプを抜け出すにはどうしたらいいかを議論した。この議論では最初の議論に似た意見が出た。まず、自分の目で見て確かめることだ。足を使い、自分の目で見ることで多様な見方ができる。また、人それぞれで知識の多さや深さは異なる。知識が少なく浅ければ、知らないことが多いためにステレオタイプに頼ってしまう。そのようにステレオタイプにならないためにも自分の目で確かめることは必要だと言う意見になった。また、確からしいデータを集めると言う意見が挙がった。自分で見て確かめることも必要であるが、公的機関や企業の調査データなどの信頼性のあるデータを集めることでステレオタイプとは違うことが見つけられるだろうと言うことだ。さらに、「みんな」、「ほとんど」などの同調表現をなくすと言う意見が出た。同調表現を用いることで周りも同じであるという認識が生まれ、ステレオタイプができてしまう。そこで、周りに流されないように同調表現をなくすべきだと言うことだ。結果、個人個人の意見が生まれ、ステレオタイプにはならないだろう。しかし、議論を進めていく中で、ステレオタイプは抜け出せないとの意見が出た。なぜなら、個人個人で育った環境が異なるからである。育った環境が同じであれば、考えに共通項を見つけ出しステレオタイプの正誤を図れるだろう。だが、育った環境が違えば考えも違うため、共通項が見つけにくく、ステレオタイプの正誤の判断が難しくなり抜け出すことができないと言うことだ。

 二つの議論から、現地に足を運び確からしいデータを集めることが、ステレオタイプを抜け出すことができるとの結論に至った。これは二つの議論に共通することであり、私たちが今後ステレオタイプに陥らないようにするために必要なことであるだろう。しかし、文化の定義づけや育つ環境の違いからステレオタイプを抜け出すことは難しいとの問題もあった。ステレオタイプはどこのレイヤーで見るかで変わってくる。つまり、ステレオタイプを抜け出すには、一定の条件づけをすることが必要である。

あらき(3年)

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