第9章 比較事例研究の可能性

 第9章では、少数の事例を絞って質的研究の因果推論を行う上での方法について述べられていた。質的研究の因果推論を行う方法としては、ジョン・スチュアート名づけたの差異法と合意法に二つに分類される。一つ目は差異法である。差異法とは異なる結果を占めている複数の事例を比較して、その違いをもたらした原因を推論する方法である。二つ目は合意法である。合意法では、複数の事例にともに生じたある事象の原因として、これらの複数の事例に共通して存在する要因を探すことで、因果関係の推論を行う方法である。しかし、二つの質的研究の因果推論を行う方法をそれぞれのメリットとディメリットがあるので、このような方法は実際に私たちが就活するにあたって少数の先輩を絞って就活のことを聞く時に、どちらの方法を使った方がいいのだろうか。そこで、私達が実際に就活を始めた時に、差異法と合意法どちらを使うべきだかという疑問を持ったため、このテーマにディスカッションを行なった。

 今回のディスカッションの前提は、内定をもらった先輩と内定をもらっていない先輩という従属変数を設定したのである。独立変数は、ゼミナールのメールリストの就活報告メールを読むことが原因とした。また、他の変数では、ゼミナールのメールリストの就活報告メールを読むこと以外として、就活の動きの時間や勉強時間などがあった。議論を始める前に、ゼミ生がどちらかを使うか人数を測り、30人の中に差異法を使う人数は20人だった。一方で、合意法を使う人数は10人だった。多くの人が差異法を使う理由としては先輩の失敗した要因を知ることができること、自分と照らし合わせ、細かいことまで分かり、面接する時に、同じような失敗を起きないように別の言い方ができる。しかし、ディメリットとしては、実際に先輩たちが失敗した本当の要因が分からない。その要因を知っても役に立たない。そして、合意法のメリットは、成功した先輩の共通点が見つかりやすく、参考になる。成功した人に成りきることができること。自分に関係している事が含まれていることなどがあげられる。一方で、合意法のデメリットとしては、先輩が受かった理由がわからないこと、失敗した人を見てもプラスにならないことなどがあげられた。

 このような議論が進んでいるなか、私が1日前という時間の条件を入れたことによって、多くの人が合意法の方を選択することがわかった。一方で、差異法が良いと考えるゼミ生もいた。理由は、直前に失敗する理由を見ることが大事と考える人もいた。議論の最後に、人数をはかった結果、30人の中に差異法を使うと人数は11人になって、一方で合意法を使う人数は19人になった。そこで、分かったことは時間的制約を設けなければ差異法が多かったが時間的制約を設けた結果、合意法の方が多くなった。就職活動を行う上で始めたころは、差異方を用いて先輩の就活を分析し、自分に合ったやり方を見つけることが大切である。また、時間がなくなった場合は合意法で成功要因などを分析して面接に臨む方が良いと考える。

タン(3年)

原因を推論する 第7章 他の変数の統制

 P129では、因果的推論を確実に行うことはできないという問題があると言われている。そこで、その問題を解決するために本章では2つの解決方法が挙げられていた。1つ目は科学的解決である。これは、ある因果関係が過去の科学的知識と同質であるということを認めることで解決する方法である。2つ目は統計的解決である。これは、自分たちでランダムサンプリングを行うことで他の変数を統制することを可能にし、問題を解決する方法である。本章では、因果推論を確実に行うことができないという問題に対して2つの解決方法が挙げられていた。そこで私は、実際に因果関係を推論する際にどちらを使うべきかという疑問を持ったため、ディスカッションポイントのテーマとした。

 ディスカッションの前提として、レジュメには研究をうまく進めていくためにはどうするべきかと記したが、実際には因果関係を推論するにはどちらの方法を取るべきかを前提として議論を進めていった。まず科学的解決方法を用いたほうが良い側としては、過去ですでに実証されていることだから正しい、同じような理論をさがすなら科学的なものを使用したほうがよい、統計的な解決で自分たちで行うのには限りがあるため不可能である、などの意見が挙げられた。一方で統計的解決方法を用いたほうが良い側としては、自分たちが欲しいと思っているデータを得ることができる、科学的理論を全く同じものとして使うことはできない、過去ではなく今の状況に合わせたデータを得ることができる、などの意見が挙げられた。

 以上のように、科学的解決と統計的解決の良い点と悪い点が挙げられた。ここで私は、ディスカッションを行ったことで、因果関係をより確実に推論できるのは統計的解決ではないかという印象を持った。その一番の理由は、統計的解決を使うことで今の環境にあった最善のデータを得ることができるからだ。科学的解決を行う場合、同質なものを見つけてそれを使うことはできるが、それが現在の因果関係を確実に説明できるわけではない。また、例え同じような理論があったとしても、それを実証した時と今では時代背景が異なるため、本当に現在の因果関係を推論するために使うことはできないだろう。しかし、統計的解決の場合はサンプル数に限界はあるが、自分たちが欲している今の時代にあったデータを得ることができるだろう。

 因果推論を確実に行えないという問題を解決するために、科学的解決と統計的解決のどちらを使うべきなのかについて議論をしたが、どちらにも利点があり一概にどちらを使うべきだということは言えなかった。しかし、今回の議論では、因果関係を確実に推論するにはどちらかというと統計的解決をすべきという意見のほうが強かったのではないかと感じた。また、この統計的解決においてランダムサンプリングを使用することで、独立変数以外の変数を統制することができるだろう。したがって、本章のテーマである他の変数の影響を考慮する上で因果関係の推論を行う重要さというものが理解できたと言える。

やくら (3年)

原因を推論する 第8章 分析の単位、選択のバイアス、観察のユニバース

因果関係を推論する上では分析の単位、選択のバイアス、観察のユニバースを慎重に検討することが重要である。この選択を間違えてしまうと対象にバイアスが生じてしまったり、他の変数を統制できなかったりして、正しく因果関係を推論できない可能性があるからだ。このように正しい因果関係を導き出すためには、数ある共変関係の中から1つの因果関係を見つけなければならない。この共変関係が、バイアスがなく、他の変数も統制され、時代やコンテクストも適しているものかを検討する方法が本書では書かれているのだ。

 このように数ある共変関係は確かに数多く存在する。しかし、第5章で詳しく述べられていた通り、共変関係を確認するのも非常に大変なのである。この共変関係は因果関係が確認されたら無価値になってしまうのか。今まで共変関係について様々な議論がされてきたが、この共変関係というものの価値をゼミ生一人一人はどのように考えているのかを今回のディスカッションテーマとした。

 今回のディスカッションは、価値を問うという難しいものに設定してしまったが故に議論が錯綜してしまった。様々な前提をしっかりと決めるのがベストではあるが、共変関係の価値の指標は人によって違うのではないか、前提を決めると意見が偏ってしまうのではないかと考え、あえてぼんやりとしたテーマにした。意見としては、共変関係の最大の価値は、その因果関係はこの共変関係とは関係ないということが発見されたことであるというものだった。そもそもの目的は、因果関係を推論することである為、この意見に納得する人は多かった。では、因果関係が確認された時点で共変関係の価値は消失してしまうのだろうか。これは意見が2つに割れた。1つ目は、因果関係は確認されなかったかもしれないが世の中は全て因果関係で成り立っているわけではなく、共変関係も様々な場面で使うことができ、価値はあるという意見。一方で、因果関係に成り立たないような共変関係はそこら中に溢れており、使い道が無いため価値はないのではないかという意見もあった。ここでは、使い道という定義をしっかりしなかった為に議論のレイヤーがずれてしまった。また、価値ある派の意見の中でも根拠や信頼性は薄い為、口には出せるが文字には残せないなど、価値の度合いが人それぞれ違うことがうかがえた。

 共変価値の価値は一人一人違うため、決して1つに決められるものではない。また、価値判断というディスカッションにはそぐわない題材を持ってきてしまったが故に、うまく議論は進まなかった。しかし、どのようなデータを使うのか、どの情報を信じ使うのか、今回のディスカッションを経てより情報の信憑性に敏感になったという上では、少しは意味のあるものになったのではないだろうか。

さわだ(3年)

原因を推論する 第5章 共変関係を探る

 因果関係の推論の多くの場合は従属変数の変化や違いが何によって生じたのか、と考えることからスタートする。しかし、因果関係を推論するのは、変化や違いを知るという作業を行った上ではじめて行うことができるのであり、その前提となる変化や違いの存在それ自体を慎重に確認する必要がある。その変化や違いの存在を見ていく手段の1つとして、帰無仮説を用いた検証方法がある。仮説検定の対象となるのは帰無仮説でもし帰無仮説が棄却されれば、対立仮説が支持されることになる。そして棄却するかしないかの際に使うものが有意水準である。有意水準より小さければ帰無仮説は棄却され、逆に大きければ帰無仮説は棄却されない。しかしこの基準は絶対的なものではない。帰無仮説が実際には真であるのに棄却されてしまう(第1種過誤)場合や、逆に帰無仮説が偽であるにもかかわらずそれが真として棄却されない(第2種過誤)場合もある。あくまで今ある論争を終わらせるための1つの手段なのである。

 そこで、仮説検定によってでたデータがどれほど有効的なものかを見ていくために、ゼミを例にディスカッションを行うことにした。前提として、今現在中野ゼミには発言回数が少ないことによって、ゼミが活性化していないという現状がある。その要因として、|暴の発言回数の差学年の発言回数の差の2つがあがってきたとする。データを見る前のゼミ生のイメージでは、〆垢呂覆き∈垢あるとなったが、データを元にカイ2乗検定を行ってみたところ、〆垢ある∈垢ないという結果になった。これらを踏まえた上で、現状を改善するための策を考えていく場合、自分たちのイメージとは乖離している計算結果と自分たちの中のイメージのどちらを元に考えていけばよいのかをディスカッションすることにした。

 データ派の意見としては、データ化されていることから客観的に問題を捉えることができることや、なによりもイメージよりは信憑性があることから、ほぼ確実に問題の原因を解決できるといった意見が多かった。逆にイメージ派の意見としては、今後の改善策を考えていく上で、イメージがあるほうが納得しやすい改善策が出やすく、その改善策を実行する気にもなるということであった。また活性化され、問題が解決した時の達成感も大きいと感じるといった意見も多かった。最初は意見がほぼ半々であったが、議論をしていくうちにデータ派の人が増え、結局最後はデータ派が22人、イメージ派は2人となった。データ派の意見が強くなったのは、少ないとはいえども、ゼミ生約30人の意識を統一しなければなかなか話は進まない。仮説検定の統計ではあるものの、データという1つの指標があるかないかでは大きく変わってくるということであった。

 とはいっても、仮説検定のデータは絶対的なものとは決して言えない。全数調査やそうとは言わないまでも、出来るだけバイアスのかかっていない正確なデータを使うこと、仮説検定よりもきちんとしたデータがあるならばそれを優先的に使うように心がけることが、なによりも大切なのである。あくまで仮説検定によってデータを出すのは、どうしても終わらせなくてはならない論争のときに限るのである。

ふじさわ(3年)

原因を推論する 第6章 原因の時間的先行

 本章P117では、優良企業を説明する際に集めたデータの大半は雑誌や新聞や企業の刊行物からなりもので、ハロー効果で歪められているおそれがある。また、経営者にインタビューをしてもハロー効果に影響されやすい、という。そこで、私たちはチーム研究でインタビューを行う際に、どうすればハロー効果の影響を回避できるかをディスカッションのテーマにした。これだけでは議論がしにくいと考えたので、三つの前提を提示した。一つ目は、インタビューに行く私たちはハロー効果の影響を受けていること。二つ目は、ここでの企業とは○○業界の中で1位のような企業であること。三つ目は、ここでのハロー効果を回避とは、効果を弱めるという意味であること。四つ目は、このディスカッションの目的としてインタビューは、優良企業であるかを明らかにする話しではない。どのようなインタビュー方法をするか、準備をすればハロー効果を回避できるかである。これらを踏まえて議論を行った。
 
 はじめに意見があまりでなかったので、こちらからインタビューに一回だけでなく、複数回行くことを提案した。なぜなら、私たちはハロー効果にかかっているので、一回のインタビューでは経営者からの話しを鵜吞みにしてしまいがちと考えたからである。それに対してフロアからの複数回インタビューを行っても、ハロー効果を受けているから意味がないのではないか、という意見が出た。それに対して、常にインタビュー相手に対して疑問を抱くという意見がでた。複数回行くだけならハロー効果を受けてしまうだけかもしれないが、その都度疑問を抱けば、ハロー効果を回避することができると考えるからである。

 次に、その企業にインタビューするのではなく、同じ業界の2、3位に聞いてみるという意見がでた。その企業に聞くよりは客観的に意見を聞くことができるので、回避することができると考えるからである。回避するという点で、他社に聞くのではなく経営者のトップじゃない人に聞くという意見もでた。例えばトップがいない時に、同じ質問を社員にしたら違う意見が出てくるかもしれないからである。しかし、その企業自体にハロー効果がかかっているので、社員だからといって回避することは難しいという反対意見もあった。

 他の意見として有価証券報告書を事前に見ておき、自分たちで推測したりするという意見があった。これを行うことで自分たちの中で何が本当なのかを考えることができ、すべて鵜吞みにすることはなくなるからである。他にも企業についての情報を集めて年表を作ってみるという意見もでた。事前にその企業について理解しておけば話しを鵜吞みにすることなくなるからである。この意見に付随して、成功の要因を聞くだけでなく、うまくいかない点があったそこも聞いてみる、というのもでた。あえて同じ業界でうまくいっていないところにインタビューし、なぜ対象の企業がうまくいってるかを考察すれば回避できるという意見もあった。
 
 以上のようにハロー効果を弱めるために様々な意見が出て議論を行った。議論を通してハロー効果を回避するためには、インタビュー前の準備が大事である。その企業に対して、何をやっていたか、現在何をしているか、創業から現在までの事実を知ることがハロー効果を回避することにつながると考える。この議論は今後のインタビューだけでなく、卒論や就職活動にまでつながると考え、今後に役立てたい。

よしかわ(3年)

原因を推論する 第3章 観察、説明、理論

 本書では、タイトルにあるように固有名詞を捨てる意味について述べられている。また、本章p.51では、リフォード・ギアツによって提唱された一般化に対する批判について記述されている。クリフォード・ギアツは、現実の社会や歴史を一般化し単純化することへ批判しており、その意味を他者に理解できるように描く分厚い記述の重要性を主張している。つまり、観察対象から固有名詞を排除して、一般的・理論的に説明しようとする試みを批判すべきものとしているのである。

 ここで、対象を人間とした場合に固有名詞をどのくらい重視すべきなのか、疑問に思いディスカッションのテーマとした。この課題を解決するプロセスとしては、まず、ゼミ生全員になぜコミュニケーションができないのかアンケート調査を行う。次に、その結果に基づいて以下の二つからマネジメント方法を考える。仝罵名詞で見る:アンケートに基づいてゼミ長自ら一人一人にアプローチをしていく。 抽象化・単純化して見る:アンケートを抽象化され単純化し、ゼミ生全員に解決策を提示する。さらに、ディスカッションの前提条件として、4点設定した。 ー分自身が30人規模のゼミ長であると仮定する。(期間は1年間) ▲璽濱犬漏Д灰潺絅縫院璽轡腑鵑靴燭い韻匹任てきない状況、またその原因は個人にある。 その人自身の問題が解決されることを目指す。 ぅ▲鵐院璽箸硫鹽項目は一人ひとつとする。

 意見としては、「固有名詞で見る」と考えた人から、ひとりひとりの背景を知ることで根本的に問題を解決することができる。次のゼミ長に引き継いで貰えば1年という期間を考慮する必要がなくなる。個々のコミュニケーションから始めていけば調和が生まれる。などの意見があった。一方で、「抽象化・単純化して見る」と考えた人からは、ゼミ長の負担を軽減することができる。ゼミ全体で共有することでのコミュニケーションが生まれる。1年という期間を考え、短期的に効果の見込める方を選択すべき。などの意見があった。
また、「固有名詞で見る」と「抽象化・単純化して見る」以外の意見としては、そもそもこの解決すべき人物はゼミ長である必要はないのではないか、ゼミ長が他のゼミ生に託すなどの分担を行うなどの意見が見られた。最後に多数決を行ったところ、「固有名詞で見る」が8名、「抽象化・単純化して見る」が16名だった。

 わたし個人の意見としては、対象を人間とした場合に抽象化・単純化する必要はなく、固有名詞で見た方がゼミ生へのアプローチとしては相応しくゼミ生の意見も「固有名詞で見る」が多いのではないかと考えていた。その人ひとりひとりの理解を深めてアプローチを取ることがゼミナールにおいてコミュニケーションの問題を解決することに繋がっていくのではないだろうか。また、今回のディスカッションポイントに中野ゼミという言葉を入れなかったのは、ゼミ長ひとりが必ずしもこの問題を解決する必要はなく、ゼミ生皆がその意識を持つことが大切であるという考えがあったからである。1年という期間が短いため、抽象化・単純化した方が良いという意見もあったが、皆がその意識を持つことで皆1年という期間に制限される必要はない。今後、ゼミ生皆にこのような意識を持ってもらいひとりひとりの理解を深め、積極的にアプローチをして欲しい。

きむら(3年)

原因を推論する 第4章 推論としての記述

 本章p78で質的研究では研究対象に「ドップリ浸り」、多くの観察可能な含意を確認する佐城が必要である。しかし、自らの研究対象にドップリ浸りすぎてしまうことで周りが見えなくなり、不正確な思い込みに基づき事実認識をしてしまうことがあると述べられている。そこで、今回は「量的研究においても研究対象にドップリ浸る必要があるのか」についてディスカッションを行った。量的研究とは、複数のサンプルからデータを収集し、事象を数値化し、統計的に分析する方法である。また、今回の議論でドップリ浸るとは、「自分の研究対象について深い理解を持つこと」定義した。

 まず、量的研究においてドップリ浸るとはどういうことなのかについて議論が行われた。量的研究の具体例として、大学の教授が自分の担当する授業の受講者の授業満足度と参加率についてという調査を統計的に分析する場合についてとりあげた。ここでのドップリ浸る対象者は授業の受講者全員を指す。これを踏まえ、調査に基づいた分析結果について考察するだけではなく、研究対象者である受講者に対してさらに深い理解を持つために研究を行うことが量的研究においてドップリ浸ることであると意見が出た。

 ここまでの議論を踏まえ、ドップリ浸る必要があると考える意見では主に3つの意見が出た。一つ目は、自分の研究対象をより深くみていくことで研究のなかででたデータをさらに有効的に活用する方法をみつけることができるという意見である。研究対象の性質や特性なども考慮して研究をしていくことでさらに良い研究になるということふことが必要であるためという意見である。三つ目は、統計的に出された結果だけではなく、現実の実態についてもより見ていく必要があるという意見である。統計的に有意であると結論付けられた研究であったとしても、現実のとは違うのではないかと疑問に思う場合がある。そのため統計のよって出された結果をだけではなく、研究対象についても深い理解を持ったうえで研究をすることが必要である。

 一方、ドップリ浸る必要がないと考える意見として2つの意見が出た。一つ目は、量的研究では正確な数値の統計データや分析必要になるためデータに対して詳しい理解は必要であるが、研究対象にはドップリ浸る必要はないという意見である。二つ目は、ドップリ浸ってしまうと周りが見えなくなってしまい、研究対象が特殊であると不正確な思い込みから事実の認識をしてしまう場合があるため、数値を扱う量的研究においてはドップリ浸るべきではないという意見である。

 最終的にゼミ生に多数決を取ったところ、量的研究においては研究対象にドップリ浸る必要はないという人が多かった。中野ゼミナールでは質的研究と量的研究を合わせて現象を明らかにしていく研究が行われる場合も多い。量的研究で行われる統計的な調査では検証し、結果が出た場合そのままで終わらせてしまうことがある。その結果を鵜呑みにせず、なぜそのような結果が出たのかという疑問をもち研究対象についても深くみていく必要がある。一方で、研究対象が他と比較してどのような特色を持つのかについて調べていくためにも研究対象にドップリ浸らず客観的視点をもって研究を行っていくという二つの視点が研究においては重要である。

よこせき(3年)

原因を推論する 第1章 説明の枠組み

本書P15にある因果関係が成り立つ3条件を意識しながら議論をするには、どうすれば良いのかという議論を行った。議論の展開は、意識するべきポイントを述べてもらい、そのポイントを意識するにはどのようなことを心掛けなければならないのかということを議論するというものであった。
 
 まず、意識するべきポイントとしては以下の3つの意見が出た。
・常に、因果関係を意識すること。
・ある事象が、本当に原因の結果なのか判断する。
・時間軸を意識して意見を述べる。
 3つの意見が出た際に、フロアからブレストだけで議論が終わるのではないかという指摘があったため、ここから次の展開に移った。

次に、上述の3つの意見を意識しながら議論をするにはどうすれば良いのかという議論をした。そこから以下の四つの意見が出た。
・自分だけではなく、他者と一緒に一つの事象について分析・検討する。
・多数派の意見だけでなく、少数派の意見もしっかり聞く。
・現状を把握すること。
・発言した人の意図を考えること。
このうち、議論をしていくということは、相手の気持ちを考えければならないという観点から、「発言した人の意図を考えること」についてどうすれば良いのかという議論が最も展開された。
その具体的な手法として、以下の二つのことが主張された。一つは、それをするためには、単純に発言した人が、なぜそう考えたのかということを考えることである。ただ、それを考えるのは難しく、たとえ推測できたとしてもそれが誤っているときがある。そこで、意図を知りたかったら、その人にその意見を出した思考プロセスを聞くのが先決ではないのかという指摘があった。
もう一つは、相手の振る舞いを見るというものである。ここでの振る舞いとは、話し方や表情、姿勢といったものである。ただ、意見を聞くだけでは分からない部分があるので、意図を考えるには話している人の目を見ることが重要だという意見が出た。

最終的に、この二つのことをするには、日ごろからコミュニケーションを取らないといけないのではないのかという結論に達した。また、近頃、ゼミにおいて話している人ではなく下を見て意見を聞く人が多い。それだと、話している人の意図が分からないので、しっかり相手の目を見て議論するのが肝要であると、この議論を通じて改めて気付かされた。今後、議論をしていく際に、相手の目を見るということと日頃から、コミュニケーションを取ることをゼミ生全員で意識していかなければならない。

うめはら (3年)

原因を推論する 第2章 科学の条件としての反証可能性

 本書p41 文化論的説明の論理的問題においてステレオタイプが挙げられている。そこで、今回は「ステレオタイプから抜け出すにはどうしたらいいのか。」についてデスカッションを行なった。また、本書におけるステレオタイプと私たちのステレオタイプの2つの面から議論が進められた。

 まず、本書におけるステレオタイプを抜け出すにはどうしたらいいのかを議論した。ここでは主に3つの意見が出た。一つは、現地に赴いて情報収集をすることだ。インターネットや他人から情報を聞くことには限りがあり、偏りがある。また、噂が広まることで信憑性に疑問が残ってしまう。これらが要因となってステレオタイプになる。しかし、実際に現地に行き、自分の目で見たり聞いたりすることで確からしい情報を得ることができる。結果、ステレオタイプの正誤を見極めることができるようになる。二つ目は、主語を特定の個人にすることだ。主語が複数人(ex.アメリカ人)をあらわしていると、大多数の人(ex.他のアメリカ人)も同じイメージになってしまう。そこで、主語を特定の個人にすることで、その個人だけのイメージができ、ステレオタイプに陥ることがなくなる。三つ目は、文化に定義づけをすることだ。二つの文化を説明する際に、文化背景が異なることから文化ごとにステレオタイプができてしまうことが問題であった。そこで、文化背景から共通の軸を見つけ、定義づけすることでステレオタイプに陥らないだろうという意見が出た。なぜなら、どこかで定義づけを行わなければ反証不可能になり、文化論的説明ができないからだ。しかし、文化の定義づけは可能なのかという疑問が出された。そもそも国ごとで生活様式や文化が異なるため、共通項は見つけられないとの意見が出た。ただ、文化の定義づけを行わなければステレオタイプを抜け出すことができない。文化の定義づけとステレオタイプを抜け出すことで議論が迷走し、それ以上の意見は出てこなかった。

 一方で、私たちのステレオタイプを抜け出すにはどうしたらいいかを議論した。この議論では最初の議論に似た意見が出た。まず、自分の目で見て確かめることだ。足を使い、自分の目で見ることで多様な見方ができる。また、人それぞれで知識の多さや深さは異なる。知識が少なく浅ければ、知らないことが多いためにステレオタイプに頼ってしまう。そのようにステレオタイプにならないためにも自分の目で確かめることは必要だと言う意見になった。また、確からしいデータを集めると言う意見が挙がった。自分で見て確かめることも必要であるが、公的機関や企業の調査データなどの信頼性のあるデータを集めることでステレオタイプとは違うことが見つけられるだろうと言うことだ。さらに、「みんな」、「ほとんど」などの同調表現をなくすと言う意見が出た。同調表現を用いることで周りも同じであるという認識が生まれ、ステレオタイプができてしまう。そこで、周りに流されないように同調表現をなくすべきだと言うことだ。結果、個人個人の意見が生まれ、ステレオタイプにはならないだろう。しかし、議論を進めていく中で、ステレオタイプは抜け出せないとの意見が出た。なぜなら、個人個人で育った環境が異なるからである。育った環境が同じであれば、考えに共通項を見つけ出しステレオタイプの正誤を図れるだろう。だが、育った環境が違えば考えも違うため、共通項が見つけにくく、ステレオタイプの正誤の判断が難しくなり抜け出すことができないと言うことだ。

 二つの議論から、現地に足を運び確からしいデータを集めることが、ステレオタイプを抜け出すことができるとの結論に至った。これは二つの議論に共通することであり、私たちが今後ステレオタイプに陥らないようにするために必要なことであるだろう。しかし、文化の定義づけや育つ環境の違いからステレオタイプを抜け出すことは難しいとの問題もあった。ステレオタイプはどこのレイヤーで見るかで変わってくる。つまり、ステレオタイプを抜け出すには、一定の条件づけをすることが必要である。

あらき(3年)

原因を推論する 序章 説明という試み

 「親の所得が高いと子供(15歳)の学力が高い」という主張に関して、^果関係のメカニズムと適切な検証方法についてディスカッション行った。

 ^果関係のメカニズムでは、原因と結果がどのような経路を経て流れていくのか議論を行った。今回のディスカッションでは、親の所得が高いと子供の教育費や塾代に費用をかけるため子供の学力が高くなるという結論になった。反論として、親が塾に通わせても子供がきちんと勉強しているとは限らないのではないかという意見も出てきた。というのは、子供のやる気がなければ学力向上には繋がらないと考えるからである。しかし、塾などの教育費はお金がかかるため所得と関係しているという考えが多かった。2番目に多く支持を得たのが、幼い頃から子供の勉強する環境が整っているからという意見である。これは親が子供に勉強するよう働きかけていたことや子供が通っている幼稚園や小学校の周りの人の環境に影響され子供の学習意欲が向上し、学力が高くなったとの考えだ。また少数の意見ではあったが、親の所得が高いということは親がいい職業に就いているからとの意見もあった。親の姿を見る子供は、自分もそのようになりたいと考え勉強に励むというメカニズムだ。さらに他には、子供の習い事などの選択肢が増えるのが理由だと考える人もいた。しかし、習い事には学力に繋がらないようなものもあるとの意見もあり、この意見に対しての支持は少なかった。以上がメカニズムを解決するディスカッションである。

 適切な検証方法についてのディスカッションでは、親の所得と子供の学力はどのように測定すべきかについて議論した。まず、親の所得については年収で測定する考えで一致した。次に子供の学力について議論した。持っている資格で判断すべきとの意見もあったが、偏差値で測定すべきという結論になった。議論を進める中で、親の所得がどこから高いといえるのかという疑問を多くの人が感じていた。なぜなら、所得の基準を平均値か中央値のどちらで捉えるかによって高所得が異なるからだ。そこで、所得の高低で比べるのではなく、散布図を用いることで関係を分析するとの意見が出た。分析方法のディスカッションでは所得と学力の測定方法に加えて、高いという判断をどのような基準で行うのか議論した。

 今回のディスカッションには議論の余地がさらにあるのではないかと私は考えた。^果関係のメカニズムでは、結論である教育にかける費用と2番目に支持を得ていた幼いころからの学習環境が相互に関係しているのではないかという点だ。親の所得が高いと教育費にお金をかけ、子供を塾や受験を考えている幼稚園に通わせたりする。そのような学習する環境や周囲の人々が、子供の学習意欲を高め学力の向上につながるのではということだ。つまり、教育費は子供の学習環境に影響し、学習環境をよい状態にするためには費用が必要だというように相互に関係しているというわけである。適切な検証方法についてのディスカッションでは、散布図を用いて分析する意見があったが、散布図から調べられることは相関関係であって、因果関係ではない。所得と学力の相関関係を確かめることができても、因果関係については述べられないのだ。これらは今回、ディスカッションを行わなかったが議論の余地があるポイントだと考えた。

 序章のディスカッションは、本書を読み知識を得る前の私たちがどのように原因を推論するかを目的として行った。次章から分析方法を身につけ、経験的・実証的な議論を行っていきたい。

まさや(3年)

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