東洋大学経営学部中野ゼミナールblog2024-01-29T16:06:27+09:00「新規事業を創出する組織と戦略」について研究していますJUGEM経営行動(第11章 組織の解剖学)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819642024-01-29T10:17:03+09:002024-01-29T01:17:03Z2024-01-29T01:17:03Z【要約】
本章では、今までの章の内容をまとめていた。本書の研究では決定的な経営原則は見つからなかったが、経営の状況の分析と記述のための枠組みと経営組織に有効などんな提案に達するにも考量されなければならない一組の要因を明らかにした。また、現在受容されてい...studentゼミのひとコマ
本章では、今までの章の内容をまとめていた。本書の研究では決定的な経営原則は見つからなかったが、経営の状況の分析と記述のための枠組みと経営組織に有効などんな提案に達するにも考量されなければならない一組の要因を明らかにした。また、現在受容されている経営の「諸原則」は、内容が曖昧であり、かつ相互に矛盾していることを示した。研究の限界として、十分な事例研究の不足と経営の成功を測定する手段の改善の必要性があった。
コメンタリーでは、実際の経営で扱われてきた組織理論と実例の紹介を通して今日に至るまでの経営理論の発展に言及している。加えて、筆者が所属していたビジネス・スクールにおける問題として、基礎的な研究と実務的な研究の融合の実現を挙げていた。付録では、理論科学及び実践科学、自然科学および社会科学の違いを明らかにし、組織はヒトが関わるものであるため参加する人間の知識や期待によって結果が変わり得ることを指摘していた。本書では、経営の社会学と実験科学の両方を議論してきた。
【ディスカッション】
DPは、「19 期に対し、『シェアードリーダーシップ』というビジョンを理解してもらい、 それを行動に反映させるために、現ゼミ生は今後どのような取り組みをするのか。」という、今後の中野ゼミの後輩の指導方針を考える、未来についてのディスカッションとした。ビジョンの理解とは単純に意味を知るのではなく、ビジョンを行動に反映した状態を指し、実際にシェアードリーダーシップをとれている状態を指す。
【意見】
19期に直接干渉するのではなく、実際に手本となる姿を見せることでまねして行動することを期待する意見が出た。しかし、それだけでは不十分だと指摘があり、ビジョンの意図と目的を教えた上でそのような姿を見せることが望ましいとまとまった。
また、19期がビジョンを行動に反映する誘因を作るため、MVP制度の設立や発言することへの評価が意見として出された。自身に対する評価であれば更なる誘因に、そうでなければ手本となり、どのような形であれビジョンの実現に役立つとまとまった。
19期に対し心理的安全性のある環境を整える意見が出たが、シェアードリーダーシップは責任の重さに関わらず発揮する必要があるとされ、反対でまとまった。他にも、後輩に対し発言を促すことは自主性を損なうことが懸念されたが、経験を積むことでビジョンを実現できるとし、意見は採用された。
本ディスカッションでは大きく分けて2つの方法を導き出した。第1に、19期が自主的にシェアードリーダーシップへと至ろうと考えるよう、誘因や環境を整える方法。第2に、19期に対しシェアードリーダーシップを持つことができるよう直接促す方法。
【まとめ】
ディスカッションを進めるにあたって、ファシリテーターがかなり前面に出て主導権を握ってしまった。議論が停滞することはなかったが、ファシリテーター側が恣意的に意見の方向性を定めたり、意見の採択を行っていた部分があった。そのため、模擬ディスカッションとは大きく離れない議論になってしまっていた。議論が停滞した際にはファシリテーター主導する必要があるかもしれないが、もう少しフロアの自主性に任せる必要があったかもしれない。
来年の17・18期は本ディスカッションで考えたことを忘れず、シェアードリーダーシップを持って19期の育成に励んでほしい。
しもざき(4年)
]]>経営行動(第9章 能率の基準)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819632024-01-22T15:37:00+09:002024-01-22T06:39:52Z2024-01-22T06:37:00Z【要約】
本章では、能率の基準について説明されている。この基準は、限られた資源で結果を最大にすることを求める。意思決定の事実的側面では、経営者は能率の基準に導かれなければならない。他方で、倫理的側面である「正しさ」の基準は、決定の純粋に価値的な要素に...studentゼミのひとコマ
本章では、能率の基準について説明されている。この基準は、限られた資源で結果を最大にすることを求める。意思決定の事実的側面では、経営者は能率の基準に導かれなければならない。他方で、倫理的側面である「正しさ」の基準は、決定の純粋に価値的な要素に関しては何の意味も持たない。そして、事実からの価値の区別は、政策決定と経営の間に適切な関係を確保するのに基本的に重要である。
コメンタリーでは、本章で述べられたように公的機関で能率の基準を評価する際の困難性が、私企業でも同様に及ぶということを説明している。
【ディスカッション】
今回のディスカッションでは、特に能率の諸批判の章に着目してディスカッションを行った。諸批判の内容としては、能率の基準を経営状況に適用する際、決定における事実的要素と倫理的要素の区別を手段と目的の区別として置き替えてしまうというものである。この問題点として例えば、利益を上げたい経営者がリストラをすると従業員に含まれる価値的要素が失われるといったようなことが考えられる。そこでディスカッションポイントを「決定の際に能率を意識しつつ、目的の倫理的要素を認識するためには経営者はどうしたらよいか?」と置き、ディスカッションを行った。
【意見】
意見としては、まず倫理的要素を経営者自身に意識させるため、また経営者一人が判断することの限定合理性を回避するために倫理的要素を指摘する第三者を用いるという意見が出た。この倫理的要素を経営者に意識させるという意見に付随して経営者自身が現場を観察することで従業員のマインドやモチベーションを理解し、決定の従業員に関する倫理的要素に関して理解を深められるといった意見も出た。また、代替的選択肢の倫理的要素に関わる部分をできるだけ列挙し、比較するといった方法も考えられた。
しかし、上記の意見は基本的に経営者自身が1人で行うことが多いため、実際の状況では実現可能性が低いという反論が出た。そのため、部門や部署ごとの長を集めて会議を行うといった、現場からの声を吸い上げる組織体制が必要なのではないかという意見にまとまった。
また、別軸の意見では、企業の目的自体を定期的に見直し、時代や現従業員にあった目的を持てているのかを確認する方法や、他社との比較により倫理的要素の持つ「べきかどうか」の判断軸を多く持つといった意見もでた。
【まとめ】
今回私たちが考えていたディスカッションポイントとしては、「決定の際に組織のなかで能率を意識しつつ、注意が手段ではなく目的に向かわせるようにするには経営者はどうしたらよいか。」というものであり、当初とはディスカッションポイントが変わってしまった。その原因として前者のディスカッションポイントで話す際に、注意を向けるのは経営者のみという前提を付与しないまま、話し合いを始めてしまい、従業員の活動は経営者にとっての手段であるからこそ、従業員は手段と目的を分離させて活動してしまっていても影響がないという前提を暗にしてしまっていた。そのため、比較的従業員目線の意見が多く出てしまい、本書の理論とは離れてしまったことがディスカッションポイントを変更した原因である。
実際にディスカッションを行った内容に関しての意見は、総じて現場からの声をキャッチアップできるような組織体制を敷くということがまとめとして考えられる。ただ、本書で指摘されていた倫理的要素は従業員のみにフォーカスしたものだけではないということは注意しなければならない点であると考える。
まつい(4年)]]>経営行動 (第10章 忠誠心と組織への一体化)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819622024-01-22T13:24:00+09:002024-01-22T04:24:33Z2024-01-22T04:24:00Z【要約】
第10章では、組織の一体化について述べられているが、一体化とは、個人による組織の決定を左右する価値指標として、個人が自分自身の目的に代えて、組織の目的をとる過程のことである。そしてこの章は、決定の心理的環境における特殊な一体化の重要な要素につ...studentゼミのひとコマ
第10章では、組織の一体化について述べられているが、一体化とは、個人による組織の決定を左右する価値指標として、個人が自分自身の目的に代えて、組織の目的をとる過程のことである。そしてこの章は、決定の心理的環境における特殊な一体化の重要な要素について検討された章である。一体化の心理的な根拠ははっきりしないが、主に3つの要素が含まれており、それは機関の成功に対する個人的な関心、私経営原理の公機関への移転、および注意の範囲の限界である。もし、一体化が、組織での選択を非個人化し、かつ社会的責任強いる上で、きわめて有用であるなら、それは組織構造自体の設定に先立つ決定に色をつけわかつ歪みを与える場合には、同様に有害となる。組織への一体化は、主に上部に大きな影響を与え、決定を前もって予定することや、未承認や未証明の価値をその仮定の中に導入することに貢献することができると述べられている。
コメンタリーでは、組織の一体化において心理的な観点からの根拠やメカニズムについて具体的に述べられている。そして、組織行動において人間は利他主義を意識して行動することもあることが述べられていた。多くの人が、組織から「利己的な」報酬を全く期待できないときでさえも、組織への忠誠心によって動機づけられるものなのだ。
【ディスカッション】
本書では、個人的価値の多くは、彼と組織のつながりによってばかりでなく、組織自体の成⻑や名声、 あるいは成功にも依存しているというように述べられており、数値的なインセンティブを受けることで、組織に所属していたいという意識を持つことができることが述べられていた。しかし、そういったインセンティブを受けることが難しい組織を想定し、「正社員の人は、アルバイトに対して会社全体で一体化していくためにはどのように働きかけを行えばよいか?」というディスカッションポイントを立てた。
<前提>
会社では、アルバイトを雇っており人員不足のためこれ以上、アルバイトを辞めさせたくない。しかし、アルバイトの時給を上げられるようなお金も持ち合わせていない。
正社員:店舗にいる人(飲食店であれば店長)
働きかけ:現在アルバイトに所属している人を辞めさせない
【意見】
まず、意見としてはお金以外の所属する誘因作る必要があるとして、バイト同士を仲良くさせられるような状況を作り出すことや普段、経験のできないことをアルバイトで経験をさせることが必要であるという意見が出た。
他にも、社員から見て頑張っている人を評価する制度や店長との人事評価を行うということ、今いる人に寄り添ったルールに変えるといった意見が出た。このように、アルバイトにある程度の責任を与えることが組織に所属する意義に繋がり、熱意が生まれる要因に繋がるのではないかという意見が出た。しかし、これらは1部の人の人に対してのアプローチでしかなく、全員がこのアルバイトを続けたいと思える要因になるとは限らないという反対意見が出たため、アルバイト全員に対する働きかけが重要であるということが述べられた。
以上のことをまとめると、主に2つに分けることができ、公式的な行動と非公式的な行動である。組織において上の立場の者が組織変革を行うために公式的に決まり事を変えるということもできるが、私たちのディスカッションの中では、それだけではアルバイトは辞めなくなる要因にはなるかもしれないが、組織に貢献しようという意欲は持つことができないという意見になり、非公式的な行動を行うことがその人のモチベーションや組織に対しての貢献意欲を変えるという結論に至った。本章に当ててみても、忠誠心を持つことが組織に対しての貢献意欲を高めることが述べられていたので結論としては似たような結果となった。
【まとめ】
本来私たちが行う予定であったディスカッションは、企業と違って、中野ゼミの活動においては組織の成⻑や成功を実感する場面は少ない中で、私たちは組織の一体化に成功していると仮定し、「中野ゼミに所属している人々は、なぜ組織の一体化を行うことができているのか?」というディスカッションを行う予定であった。しかし、中野ゼミにおいて組織の一体化ができているという状態の前提があいまいであったため、ディスカッションが変更となってしまった。
また、このディスカッションのままでは出てくる意見も結局本書に沿った内容と同じ意見しか出ないというように言われてしまったため、今後ディスカッションを行う際には、本書に沿いすぎても良くなく、私たちがどうしてこのディスカッションを行い、そのディスカッションを行う意義は一体何なのかを考えて、ディスカッションポイントを持ってこなければいけないということを学んだ。
変更したディスカッション内容に関しては、どの学年も考えやすいディスカッションであったため、発言は多く見られた。さらには、そこからまとめに持っていく形としても本書に書かれていることをより具体的に話し合い、どうしていくべきかをみんなが再確認することができたディスカッションになったのではないかと考える。
おさだ(4年)
]]>経営行動(第8章 コミュニケーション)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819612024-01-15T14:17:00+09:002024-01-15T05:17:49Z2024-01-15T05:17:00Z【要約】
第8章では、組織のコミュニケーション・システム、特にそれが権限のシステムを補う面に関心を寄せて書かれている。意思決定機能の専門化は、決定センターを通ずる適切なコミュニケーション経路をつくる可能性に大きく依存している。そして、一般に組織の構造...studentゼミのひとコマ
第8章では、組織のコミュニケーション・システム、特にそれが権限のシステムを補う面に関心を寄せて書かれている。意思決定機能の専門化は、決定センターを通ずる適切なコミュニケーション経路をつくる可能性に大きく依存している。そして、一般に組織の構造は、コミュニケーションの公式システムの特定化を含むが、これは組織の社会的関係に基づく非公式コミュニケーションによって補われる。個人的動機は、コミュニケーション・システムを自身の用途に転用することや伝達されるコミュニケーションの受容に影響を与える。そして、訓練は代替的アコミュニケーションの方法の一つに当てはまる。
コメンタリーでは、まず情報革新が起きている中で情報爆発が起きない理由として、技術を利用する側の我々人間にその原因があると書かれている。そして、組織記憶の内容については、もっととも重要になるのが、組織そのものと組織も起票の表現である。最後に、新しい科学知識によって生み出された新しい諸問題は、進歩の標であり、私たちが作り上げている新しい情報技術は、解決の一歩を踏み出すことを可能にしてくれていると結論付けられている。
【ディスカッション】
今回は、訓練とコミュニケーションに関するディスカッションを行った。公式訓練の最大の難題は、訓練される集団内に受容の態度を確保することである。このようなモチベーション問題の発生は、新しい従業員の新人訓練において最も少ないが、かなりの期間にわたってすでに職務を遂行してきた従業員の訓練においては、極めて深刻である。この状況を中野ゼミに置き換えて考えると、輪読や3分間スピーチなど日々の活動に慣れてくると、手を抜いてこなしてしまうと考えることができる。そこで、今回は「中野ゼミにおいて、新3年生(現2年生)の受容の態度を確保するためにはどうしたらいいか。」という点について議論した。
〈前提〉
・訓練:中野ゼミで行う普段の活動
・監督者:自分以外のゼミ生
・受容できている状態:中野ゼミの活動に積極的に参加できている
【意見】
まず、新人の方が熱意や目標をもってやっているからこそ、需要の態度を確保できているという事から「ゼミへの目標を立てて、それに貢献させる」という意見が上がった。しかし、この意見では定義として新三年生を置いている意味合いが薄れてしまうのではないかという反対があった。
また、本書の内容に沿って、「受容圏を広くするために監督と制裁を厳しくする」という意見や「二年生の時にもリーダーシップを経験する機会を与えて、先輩がアドバイスする」という意見が上がった。しかし、いずれもただでさえ大変であるのに逆効果ではないか、あまり実現できる機会がもうないといった意見から反対された。
そこで、「主体性、リーダーシップが求められることへの不安の対処に先輩が自身の経験を伝える」ことや「意見や提出物に関して先輩が褒めること」などの意見が上がった。受容の態度を確保するためにはゼミに対してやる気を出してもらわなければなければならないため、楽しい成長の場だと感じてもらえるように先輩が手を差し伸べることが効果的なのではないかと考えられる。
以上のことをまとめると、「三年生になって、主体性が求められたりリーダーシップを発揮しなければいけないというプレッシャーや負担が起きる中で、それを経験した先輩が、議論の場での意見だしとか提出物などといった場面でアドバイスをしてあげたりフォローをすることが、受容の態度を確保させるのに効果的」と結論付けることができる。
【まとめ】
今回のディスカッションでは前提に基づき、中野ゼミという組織の特徴を考えた上で、様々な角度からの意見に基づき一定程度説得力のある結論を導き出すことができたと考える。
しかし、今回の結論では想像までの意見で終わっており、実際に出た意見をどのように実行するのかという部分まで落とし込むことができなかった。本書では、会議方式が成功する一つの方法として挙げられている中で、中野ゼミではなぜそのような方法ではなく、今回の結論の方が有効であるのか、またどのようにして行動まで移すのかというところまで議論することができれば、より今回のディスカッションが意味のあるものになったと考える。
みずたに(4年)]]>経営行動 (第6章 組織の均衡)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819602023-12-18T14:32:06+09:002023-12-18T05:32:06Z2023-12-18T05:32:06Z【要約】
第6章では、個人がなぜ組織化されたグループに参加するのか、またなぜ自分自身の個人的な目的を確立された組織の目的に合わせるのか、という点について書かれている。これらは、組織が金銭や努力の形で貢献を受け取り、これらの貢献の見返りとして誘因を提供...studentゼミのひとコマ
第6章では、個人がなぜ組織化されたグループに参加するのか、またなぜ自分自身の個人的な目的を確立された組織の目的に合わせるのか、という点について書かれている。これらは、組織が金銭や努力の形で貢献を受け取り、これらの貢献の見返りとして誘因を提供する均衡のシステムで説明することができる。これらの誘因は、組織の目標それ自体、組織の均衡と成長、これら2つとは無関係のインセンティブ、を含む。組織の均衡は、多岐にわたる個人的な価値を持つが、それらの価値を達成するために組織の生命を維持する責任を持っている支配集団によって維持される。
コメンタリーでは、組織の目標のコンセプトと職場満足という2点について書かれている。第1の組織目標のコンセプトについては、「組織の目標」とは、個人動機と間接的につながる組織の役割によって課される制約の集合であり、異なる制約は異なる組織の決定の問題を定義する。第2の職場満足については、産業革命前後も、コンピューターの導入後も、労働者は自らの職務に満足と不満足を感じている。それは、職務が人々の興味をそそるほどに複雑ではないからである。
【ディスカッション】
今回は、コメンタリーの職場満足に関するディスカッションを行った。多くのエグゼクティブは、仕事に退屈さを感じており、それゆえ疎外されている。そこで、人々の興味や注意を引くためには、活動は新規性の要素を提供し続けられるほど複雑であるが、理解できるほどの単純で、ゆえにその中にパターンが認識されなければなれない。本書では、エグゼクティブの職務満足は、ある責任を他に移管するような、エグゼクティブ同士で行われるより頻繁な横断的以上の中に見出されると言われている。そこで、今回は、「なぜエグゼクティブの職務充実(職務満足)は、エグゼクティブ同士で行われるより頻繁的な横断的委譲の中に見出されるのだろうか。」という点について議論した。
〈前提〉
・エグゼクティブ:管理職
・職務満足:人々の仕事に対する愛着
・職務満足が高い状態:活動が新規性の要素を提供し続けられるほど複雑であるが、理解
できるほどに単純で、ゆえにその中にパターンが認識されるとき
・横断的委譲:ある責任を他に移管すること
・組織形態:部門別組織
【意見】
まず、「エグゼクティブは決定権を持っているから」という意見があがった。活動がルーティン化してしまうと人々は疎外を感じるが、決定権を持つことによって常に新規性・複雑性を担保することができる。しかし、決定権については、部下との関係の中にも生じるため、エグゼクティブ同士ならではのものとは言えない。
また、「頻繁に横断的委譲を行うことによって常に新規性を見出すことができるから」、「エグゼクティブ間では交渉といった双方向のコミュニケーションが生じることから、複雑性がある」という意見が挙がった。しかし、これらの意見では新規性・複雑性については説明できるが、パターンの認識について説明できないため、職務満足を高い状態にできる理由にはならない。
そこで、「エグゼクティブは会社の上層部であることから会社についての理解度が高く、また横断的医所によって生じる仕事はいつも行っていることではないために複雑性を持つことができるから」という意見が挙がった。それに対して、今回の組織形態は部門別組織であるため、エグゼクティブは会社の理解というよりかは自分が持つ部門に関する理解が深いと考えることができ、そのため横断的委譲が生じるとパターンが認識されないという指摘があった。だが、エグゼクティブは、エグゼクティブとしての仕事(部下をまとめ上げる、会社のトップとのやり取り)という点については、横断的委譲がなられた場合でも流用することが可能であることから、パターン化という点が担保されると考えられる。
以上のことをまとめると、「エグゼクティブの仕事は専門的であり、横断的委譲によって任される仕事に関する知識がないために新規性の要素を提供し続けられるほどに複雑であり、一方エグゼクティブとして求められる仕事についてはどんな場面でも流用することができるためにパターンを認識できるから」と結論付けることができる。
【まとめ】
今回のディスカッションでは前提に基づき、エグゼクティブ間特有な点について考えたり、また単に複雑なだけでなく、なぜパターンを認識できるのかという点について考えたりことができた。そのため、今回導き出した結論には説得力があったと考える。
しかし、今回はエグゼクティブを管理職と定義して議論をしたが、本書では経営者としてエグゼクティブを捉えていたため、その点についてずれが生じてしまっていた。経営者は、職務から見返りを得ることができないため、仕事以外の部分に面白さを求めているということが本書で言われているエグゼクティブの実態である。そのため、エグゼクティブを経営者と捉えなおして今回のDPについて議論を行うと、今回とは異なる結論が導き出されることが考えられる。
かたぎり(4年)]]>経営行動(第7章 権限の役割)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819592023-12-18T14:16:00+09:002023-12-18T05:16:29Z2023-12-18T05:16:00Z【要約】
本章では、経営過程における意思決定を行う上で重要な役割を果たす、「権限」について、それが受容される理由や権限が可能にする機能、権限が機能しなくなる状況などについて論じた章である。権限とは、伝達された他者の決定に個人の決定を従属させることによっ...studentゼミのひとコマ
本章では、経営過程における意思決定を行う上で重要な役割を果たす、「権限」について、それが受容される理由や権限が可能にする機能、権限が機能しなくなる状況などについて論じた章である。権限とは、伝達された他者の決定に個人の決定を従属させることによって集団内で調整された行動を担保する関係のことを指す。権限は組織における数多くの影響の形態の1つに過ぎない。その顕著な特徴は権限の行使に対して、部下の黙認を求めているだけだということである。権限の重要な機能は、たとえ合意に到達できなくても、決定がなされ、それが実行されるのを許可することである。どんな場合でも権限の専制的側面は部下の「需要圏」の範囲内に制限されている。管理においては、矛盾する権限関係の回避は時に重要な問題である。調整は権限が管理組織内で果たす3つの機能の1つであり、権限の範囲や、目的を達成する手段について組織内で合意をとる行為で、これを行うことで共同して相互に一貫した決定が可能になる。権限はまた責任の強化と意思決定の専門化における重要な要素である。責任の問題は、集団の計画に対する個人の忠誠を強化するのが望ましいあるいは必要であるときにはいつでも生じる。制裁は権限の持つ度の機能においてよりも、責任を強化するという機能において一層重要な役割を果たす。権限は、組織のあるメンバーが行った決定が他のメンバーの行動に影響を与えるのを認めることによって、意思決定の専門化を可能にする。
【ディスカッション】
輪読担当者が提示したDPは、「中野ゼミにおいて各役職の権限が受け入れられるのはなぜか」という、中野ゼミ内で権限が受容される理由を明らかにしようとしたものだった。しかし、中野ゼミ内では権限の範囲が狭く、無関心領域や社会的受容などの理由以上のものが見つからなかったため、DPは変更になった。
代替案として、7章のコメンタリーにて主張されていた、「社会的機構では昔に比べて権限は受容される範囲は狭くなって受け入れにくくなっているが公式組織内ではそうではない」という1節の理由を明らかにするDPを立て、ディスカッションを行った。前提として、権限を行使する対象と受け入れる対象はそれぞれ、社会的機構は国と国民、公式組織は社長と社員という関係を想定した。
意見の方向性として、社会的機構の過去と現在の2軸、公式組織と社会的機構の2軸でそれぞれの意見が出た。社会的機構の過去と現在の2軸では、戦前の日本と現在の日本の違いから、戦前の日本の方が国民に対する影響力や制裁が強く逆らい難かったこと、国民の受容圏が広く国の権限の行使に従う傾向があったこと、国と国民の関係が対等ではなかったなどの意見が出た。公式組織と社会的機構の2軸では、社会的機構の方が、組織における明確な目的がありそれに沿っている権限の行使に逆らわないこと、明確なハイアラーキー構造で権限が受容されやすいこと、権限に従わなかったときの制裁が少ないことなどの意見が挙げられた。社会的機構の過去と現在の2軸、公式組織と社会的機構の2軸で見ても、現代の社会的機構は階層構造、制裁などの権限の受容を促進する機能が衰えていることが分かった。
【まとめ】
昔は国が上司の立場、国民が部下の立場で階層がはっきりしていた。今は昔と違って国民=国の関係で平等になった。また、会社においての階層構造はほとんどの組織で明確化している。昔の日本や現代の会社において権限の行使に対する抵抗は行われず、安全や今後の立ち位置を確保するなどの目的から権限を受容するようになった。今回出てきた意見の肝となる部分は、階層構造があるから権限の受容を促進する仕組みが作れたというものだ。例えば、制裁・インセンティブ・目的の統一といった仕組みの作成が可能であった。社会的機構において、階層構造がなくなって上記のシステムを維持できなくなったため、受容の範囲が昔よりも狭まった、と結論付けた。
DPの代替を考えるまでにかなりの時間を要し、フロアにかなりの協力をしていただいた。意見の幅が出にくいDPを持ってきたり、予備のDPが全く使えなかったなど、反省点の多いディスカッションだった。今回の反省や体験を今後のディスカッションを次回以降に活かしたいと思う。
しもざき(4年)]]>経営行動(第5章 経営決定の心理学)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819582023-11-06T15:19:16+09:002023-11-06T06:19:16Z2023-11-06T06:19:16Z【要約】
この章では、人間の合理性の限界と可能性がともに検討された。合理性の限界は、人間がなにか一つの決定をするために、関連する価値、知識、および行動の全ての側面を想起することが人間の心にとって不可能であることから導き出された。人間の合理性は、心理的...studentゼミのひとコマ
この章では、人間の合理性の限界と可能性がともに検討された。合理性の限界は、人間がなにか一つの決定をするために、関連する価値、知識、および行動の全ての側面を想起することが人間の心にとって不可能であることから導き出された。人間の合理性は、心理的な環境の限界内でしかはたらかない。決定の刺激は、より大きな目的に役立つようにコントロールされうるものであり、個人の一連の決定は、十分に練られた計画へと統合されうる。また、個人の組織や制度への参加は、基本的かつ広範な統合の源泉となる。個人に対する組織の影響には、以下の二つの主要な種類がある。(1)各メンバーが、特定の状態のもとでの他のメンバーの行動についての安定的な期待を形成できるようにする。(2)メンバーの行動の流れを定めるとともに、行為を刺激する中間的な目的を提供する。
【ディスカッション】
本章では、一人の孤立した個人の行動が、多少なりとも高い合理性に達成することは不可能であると言われている。探索しなければならない代替的選択肢の数は非常に多く、代替的選択肢を評価するために必要とする情報はあまりにも膨大であるため、客観的合理性に接近することさえ想像しがたい。しかし、組織によって、個人が客観的な合理性にある程度近づくことが可能になる。選択の心理的環境の確立において組織が果たす役割についての検討がなされている。そこで今回は、「なぜ組織に所属した個人の方が客観的な合理性にある程度近づくことができるのか?」という点についてディスカッションを行った。具体的なイメージとして、「なぜゼミに所属している個人の方が所属していない個人よりも、優れた卒論を書くという目標に近づけると言えるのか」という具体例を挙げた。ここで言う「客観的な合理的」とは、所与の状況の下において所与の価値を極大化するための正しい行動を取れていることを指す。
出た意見は、大きく二つに分けられる。一つ目は、組織が個人の代替的選択肢を増やす、という意見である。組織に所属していることで、他メンバーから様々な意見をもらえる。自分だけでは、思いつかなかった代替的選択肢を得ることができる。また、組織のなかで個人が訓練され、代替的選択肢を生み出す力が養われる。このような組織による影響が、個人の持つ代替的選択肢を広げることに繋がっている。二つ目は、組織が個人の代替的選択肢を評価することを助ける、という意見である。組織に所属することで、自分以外の行動を見ることができる環境を得る。そのため、他メンバーが代替的選択肢からどのようにひとつの行動を選んでいるのかを知ることができる。その中で、優れた決定やその逆を学び、同じ決定を迫られたときの判断材料となる。また、このような他メンバーの知識や経験は、組織に「記憶」として蓄積されているため、代替的選択肢や判断のための情報を新しく探索する必要がなくなる。つまり、個人の決定におけるプロセスがある程度効率化されることとなる。
このような意見に対する反対として、すべての組織に当てはまる訳ではないという意見が出た。ただ組織に入れば良いのではなく、上で述べたような影響を与える組織に所属することが重要である。そこで、どのような組織に所属すれば、客観的合理性に近づく影響を得ることができるか、検討された。この答えとして、制度や基準が定められており、調整がなされている組織が挙げられた。制度や基準が設定されていることで、必要な情報の探索が簡略化され、意思決定プロセスの効率化が図られる。さらに、調整がなされていることで、他メンバーの行動の透明性が高まる。そのため、知識や経験を得ることにつながる。ここから、制度や基準が定められており、調整がなされている組織に所属することで、個人の代替的選択肢の増加、評価のプロセス効率化という影響を受けるため、客観的な合理性にある程度近づくことができる、という結論に至った。
【まとめ】
今回のディスカッションでは、「なぜゼミに所属している個人の方が所属していない個人よりも、優れた卒論を書くという目標に近づけると言えるのか」という具体例をもとに、組織が個人の客観的合理性に与える影響を検討することができた。最終的に選択を行うのは個人であるが、組織に所属することで、そこまでの問題が単純化されることが示された。個人が高い合理性を達成することは不可能という限界が示されている中で、組織の有用性についての理解が深まる議論となった。
くまざき(4年)]]>経営行動(第4章 経営行動における合理性)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819572023-11-06T15:03:00+09:002023-11-06T06:08:17Z2023-11-06T06:03:00Z【要約】
本章は、決定の客観的環境ー選択に続いて生ずる現実的な結果ーを取り扱う。決定の過程では、目的のために適した手段だと考えられる代替的選択肢が選ばれるが、目的それ自体はより最終的な目的に対する単なる手段に過ぎないことがある。つまり、初目標は、ハイ...studentゼミのひとコマ
本章は、決定の客観的環境ー選択に続いて生ずる現実的な結果ーを取り扱う。決定の過程では、目的のために適した手段だと考えられる代替的選択肢が選ばれるが、目的それ自体はより最終的な目的に対する単なる手段に過ぎないことがある。つまり、初目標は、ハイアラーキーに整列させられるのである。しかし、この図式には限界があり、注意しないと不正確な結果を導く。
決定は、?全ての代替的戦略を列挙する?これらの戦略の各々から生ずる結果の全てを確定する?これらの結果の集合を比較評価するというステップが含まれる。人員選抜の場合、集められたデータは候補者の比較予測の基礎として用いられ、その予測が正しければ正しい決定となる。集団行動では協働と調整が必要であるが、調整がなければ協働は成立しない。
手段ー目的の連鎖は、行動からその結果とし生じる価値にいたるまでの一連の因果的に関連した諸要素である。
「合理性」における複雑性を避け明瞭にする唯一の方法は、適切な副詞と連結して「合理的」という言葉を用いることである。
【ディスカッション】
本書(p120,L8)で、「ある地位の候補者について、試験ら勤務評定、その他からデータが集められる。これらのデータは、どの候補者がその職務をもっとも適切に遂行するかを判定するための比較予測の基礎として用いられる。その予測が正確ならば、正しい決定がなされうる。」と述べられている。これを、中野ゼミの選考に当てはめて考えた。中野ゼミでも毎年、選考を行う際には、エントリーシートや、1分ほどの動画、面接など決して少ないとは言えないデータを元に、選考を行っている。また、3、4年は、既に選考を何回か行っているため、経験も持っている。そのようにデータも経験もある中で選考が行われている。しかし、毎年必ず、ゼミに入った後に途中で辞めてしまう人が存在しており、これは、正しい予測ができていないと言えるだろう。以上のことから「中野ゼミの選考において、私たちは経験やデータを持っているが、正しい予測ができていないのは何故だろうか」というDPでディスカッションを行った。
まず、「早く終わらせたい」というその場の感情を優先してしまい、目的を蔑ろにしてしまうからという意見が出た。また、面接には時間的制約があるため、完全な深掘りができておらず、それによりデータが不十分であるのに、無理やり基準とデータを結びつけているという意見も出た。データに関するもう一つの意見として、本書にあげられているような客観的なデータがなく、主観的なデータだからという意見が出たが、主観的なデータだと本当に正しい予測ができないのか、逆にどんなデータがあれば正しい予測ができるのかという指摘があった。GPAや出席率などのデータがあればある程度継続力などにおいて参考になりそうという意見が出たが、GPAが低い=やめるとはならないし、そもそも中野ゼミの選考の判断基準が主観で提示されるものだから今回においては主観的データだから正しい予測ができないというのはあてはまらないとなった。また、人数の問題の不安から採用していたり、ディスカッションの時に主観的に判断しているためという意見も出た。集団の合理性と個人の合理性があっていないという意見も出たが、これに関しては中野ゼミではディスカッションで論理的な意見を求められるため、成立しないとなった。そんな中で、そもそも正しい予測には全部の事項を知らないといけないが、それは不可能なため選考で正しい予測は無理という意見が出た。しかし、完全に正しい予測ができないのは当たり前で、その中で結果の最大化を目指すためにどうするのかという議論である。これを前提とし、意見をまとめると、欠陥がある部分がデータ、採用担当、方法に分けることができるが、データに関しては中野ゼミにおいて客観的なデータを入れるのは難しいし、方法においては時間が十分にあったとしても完全な深掘りができるとは限らないといえる。最終的な判断をするのはやはり採用担当である私たちであり、そこに、早く終わらせたいという思いがあったり、主観的に判断してしまったりという欠陥があるため正しい予測ができていないという結論になった。
【まとめ】
今回のディスカッションでは、予測の過程を中野ゼミの選考に当てはめて、完全に正しい予測はできない中でも結果の最大化を目指すという前提のもと、なぜそれができていないのかというディスカッションを行い、どうすればよいかまでは議論をしなかった。そこについて少し言及するとすれば、本書であるように、感情からくるモチベーションによって、選考に注意を固定することが必要だろう。また、ディスカッションから、客観的に判断するということも重要だとわかる。
今回の反省点としては、「完全に正しい予測ができないとした上でいかに結果の最大化を目指すかを考えた時」という前提を、最初に明言できなかったところにある。フロアからの意見によって途中で前提の確認となってしまったため、最初からそこを明確に提示できていれば、途中で前提を全体で確認するという時間を省き、各意見について議論する時間にできたと考える。
さとう(4年)]]>経営行動(第3章 意思決定における事実と価値)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819562023-10-30T12:15:23+09:002023-10-30T03:15:23Z2023-10-30T03:15:23Z【要約】
この章では、意思決定における価値的要素と事実的要素の区別の説明にあてられている。事実的な命題を正しく評価する過程は、価値判断を正当と認める過程とは全く異なっている。前者はそれが事実と一致することによって、後者は人間の認可によって、正当と認め...studentゼミのひとコマ
この章では、意思決定における価値的要素と事実的要素の区別の説明にあてられている。事実的な命題を正しく評価する過程は、価値判断を正当と認める過程とは全く異なっている。前者はそれが事実と一致することによって、後者は人間の認可によって、正当と認められるのである。
また、もし倫理的な問題から事実的な問題を区別することが妥当な区別である場合、政策の問題と行政管理の問題の区別は以下のようになる。
?価値決定に関する民主的制度への責任は、決定における事実液要素と倫理的要素を、一層効果的に分離しうる手続き的工夫を考え出すことによって、強化されうる。
?ある問題を立法府と行政管理者のどちらに分配するかは、そこに含まれる事実的問題と倫理的問題の重要性と、前者の議論の余地がある程度によるべきである。
?立法府は、必然的に多くの事実的判断をしなければならないので、情報や助言がすぐに入手できる必要がある。
?行政管理機関は、必然的に多くの価値判断をしなければならないので、明確に立法化されているものをはるかに超えて、社会の価値に対して敏感である必要がある。
【ディスカッション】
この章では、事実判断と価値判断を正当と認める過程は全く異なっており、事実判断はそれが事実と一致するかどうかによって、価値判断は人間の認可によって、正当と認められると言われている。だが、いくつかの種類の政策あるいは命令的に出される規則に加えて、ほとんどの組織にも観られる多くの「慣例」というものがある。こうした慣例は、命令あるいは規則として確立されておらず、また制裁によって強制されないが、それでも慣習の力か他の理由によって組織で順守されていると言われている。ここから、慣例は、政策と違って、事実判断や価値判断によって正当かどうかが決められているわけではないと考えた。そこで今回は、「なぜ、慣例は組織で遵守されているのだろうか。」という点についてディスカッションを行った。なお、ここで言う慣例とは、以前から行なわれてきていて、習慣のようになっている事柄やしきたりのことを指す。
基本的に慣例のマイナスの側面に関する意見が多く上がった。例えば、自分だけ慣例を守らなかった場合に自分の評価が下がる可能性があるから、慣例を廃止して新しいことを生み出すよりも遵守する方がコストがかからない、といったような意見が挙げられる。そこで、これらのマイナス的な側面に共通する根本の原因に関する議論が進められた。ここでは、自分の中で慣例を正しいものと思い込んでしまっていることや、慣例は守らなければならないものということが個々人の中で醸成されている、などの意見が挙がった。これらは暗黙のルールとなっており、これまでの経験や価値判断(人間の認可)によって正しいとされている。
ここから、「なぜ、慣例は組織で遵守されているのだろうか。」という問いに対する結論は、「慣例は守らなければならないものという暗黙のルールが個々人の中で醸成されているから」ということが導き出された。そのため、自分だけ慣例を守らなかった場合に自分の評価が下がる可能性があるから、慣例を廃止して新しいことを生み出すよりも遵守する方がコストがかからないといった心理的な要素が生じることになる。
本書では、慣例は政策と違って文書化されていないため、強制力はないと言われていた。しかし、今回のディスカッションの結論から、組織のメンバーは慣例を守らなければならないという暗黙のルールに縛られ、その結果慣例を破らないように相互に監視しあうという強制力があるということになった。そのため、文書化されていない場合でも、暗黙のルールの下で相互に監視しあうことで強制力が生み出されると言える。
【まとめ】
今回のディスカッションでは、慣例のマイナス的な側面に焦点を当てて議論を進めてきた。しかし、この後の章でも言われているように、慣例を組織メンバーが正しいものであると受け入れることによって、物事を効率よくこなすことができるようになるなど、基本的に慣例はプラスの側面があるからこそ生み出され、守られることが多いことに留意する必要があるだろう。また、そもそも慣例に対して、それが正しいか、正しくないかの基準は時代によって大きく変化しうるということも重要な点である。
ディスカッション自体に関する反省としては、反対意見がほとんど出なかった点が挙げられる。その結果、ディスカッションはブレインストーミングのようになってしまい、まとめの際にも共通点を見出すという方法が取られることになった。その原因は、慣例の例が1つのものに偏りすぎた点にあると考えている。今回のディスカッションでは、慣例という抽象的なものを題材にしていたため、慣例の定義に基づいて複数の例を提示することによって、よりディスカッションを活性化させることができたはずである。
かたぎり(4年)
]]>経営行動(第2章 経営理論の若干の問題点)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819552023-10-23T04:11:46+09:002023-10-22T19:11:46Z2023-10-22T19:11:46Z【要約】
本章は、一般に認められた4つの経営諸原則について批判的検討を行う。それは、専門化、命令の一元性、統制の幅、目的別・過程別・顧客別・場所別組織である。これらを行うことで経営能率が増大するとされている。しかし、この4つは批判的分析にさらされ、批判...studentゼミのひとコマ
本章は、一般に認められた4つの経営諸原則について批判的検討を行う。それは、専門化、命令の一元性、統制の幅、目的別・過程別・顧客別・場所別組織である。これらを行うことで経営能率が増大するとされている。しかし、この4つは批判的分析にさらされ、批判に耐えられないこととなる。経営の研究に有効なアプローチとしては、関連する診断的基準の全てを明らかにする、この全ての基準によってそれぞれの経営の状況を分析する、いくつかの基準が互いに矛盾する場合は、それらに重みをどのように割り当てるかを決めることが必要となる。経営状況の基準を適切に行った上で、経営状況の診断を「能率の原則」に従って行う。その次に基準への重みへの割り当てとなるのだ。
本書は、経営理論の再建、適切な用語と分析の体系の建設の第1歩を試みているにすぎない。この第1歩の重要性を過小評価しないように注意しなければならない。そうすれば、その後の建設に貢献することとなる。
【ディスカッション】
本書において、組織のメンバーを2人以上の上司から命令を受ける地位につけることは、望ましくないと述べられていた(p46, ℓ9)。しかし、私たちが所属したことのある組織では、そのような状況になってしまっていることも少なくなかったため、以下のような前提を置いてディスカッションを行った。
ある県のサッカー部では、地区別に練習を行っている3つのサッカー部の中から、上手いメンバーを選抜し、他の県と対戦する大会が存在する。その選抜チームを作る上で、3つの地区で3人のコーチがそれぞれ自分なりの指導を行っている。そのため、選抜に選ばれたメンバーはそれぞれ学んでいる内容が違い、それでも大会で成績を残すために組織を1つにしていく必要がある。また、選抜チームには監督が1人存在する。
このような前提の中で立てたディスカッションポイントは「学んでいる内容が違っているメンバーの中で、同一の目標を達成していくために、監督はどのように組織を変えていけば良いのだろうか」である。
実際に上がった意見として、まずは各チームの現状分析を行う必要があり、これは統制の幅を生じさせてしまう恐れがあると考えられたが、話し合った結果、統制の幅には影響しないのではないかという意見が出た。次に、各チームで共通の最低目標を設けるという意見が出たが、そうしてしまうと専門化を行っている意味が消えてしまうのではという意見が出たため、どういう組織にしたいのかの選抜基準の軸を作ることで解決できるという意見が出た。他にも、全チーム共通のメニューを考案し、そのメニューを全チームに練習させるという意見が出たが、こちらも統制の幅や上層の人は現場の判断を正しく判断することができないのではないかという意見が出た。しかし今回のディスカッションは、効率性の話をしているわけではないので元の意見が妥当であると考えられた。最終的には、目標などで軸を定めることやメニューの統一性を持たせるということは全てのチームで共通の軸を持たせることが重要であるという話でまとまった。
【まとめ】
今回のディスカッションにおいては、監督からそれぞれのチームに対しては命令の一元性が担保されている状態であった。しかし、コーチから選抜された生徒に対して専門化は存在しつつも、命令の一元性が担保されていない状況となってしまっていたため、私たちが行ったディスカッションでは、ここでの命令の一元性を保つには、3チームでの共通の軸が必要であると考えた。発表担当で行った模擬ディスカッションでは、命令の一元性、専門化についての定義が甘い状態で意見を出したため、全く異なるディスカッションとなってしまった。
ディスカッションの反省点としては、自分たちの中で内容が整理できておらず、ディスカッションポイント自体が4つの原則の1つにフォーカスしたものとなってしまい、前提をしっかり決めないとディスカッションが進まない状況になってしまったことである。また、そこから代替案を出すことが出来なかったため、今後は、ディスカッション準備をする段階で、フロアのことを考え、どんな意見が出るかもそうだが、どうしてこのディスカッションで成り立つのかまでを考えて説明できるようにしておく必要があると考える。今後改善していきたい。
おさだ(4年)]]>経営行動 (訳者まえがき〜第1章)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819542023-10-09T12:45:11+09:002023-10-09T03:45:11Z2023-10-09T03:45:11Z【要約】
本書は、 第1章から第11章までそれぞれ「本論」と「コメンタリー」で構成されている。「本論」の内容は初版から変わっておらず、「コメンタリー」では初版の出版当時から現代までの組織の変化と組織理論の変化について議論されている。
本書第1章では、意...studentゼミのひとコマ
本書は、 第1章から第11章までそれぞれ「本論」と「コメンタリー」で構成されている。「本論」の内容は初版から変わっておらず、「コメンタリー」では初版の出版当時から現代までの組織の変化と組織理論の変化について議論されている。
本書第1章では、意思決定と経営組織について述べられている。経営の理論は、「決定すること」と「行為すること」の両方の諸原則が含まれるべきであり、その行為を決定する過程には熟考のプロセスが存在する。また、決定は階層構造になっており、階層の下に向かう段階はすぐ上の改装の目標の実施を意味している。さらに意思決定の際には、権限や組織への忠誠心、助言と情報など、組織のメンバーが他のメンバーに与える影響も関係してくる。
【ディスカッション】
本書において、Eメールやビジネスチャットツールなどの新しいコミュニケーションツールが登場したことで、伝統的なハイアラーキーの重要性は減ずると述べられていた。しかし、そのような新しいコミュニケーションツールを導入しているにもかかわらず、組織として伝統的なハイアラーキー構造を維持している企業は存在する。そこで今回は、「新しいコミュニケーションネットワークによって伝統的なハイアラーキーの重要性は減じているにもかかわらず、企業はなぜ伝統的なハイアラーキーを維持するのか」について議論をおこなった。
意見としてまず、伝統的階層構造を取ることにより責任化するからという意見が出た。これは、伝統的な階層構造では役職が明確に定められているため、ポジションによる責任が定められるためである。次に、意思決定の効率化が図れるからという意見が出た。これは、階層構造を取ることで、階層のトップに届くまで意見や提案が絞られるためである。次に出たのは、作業が分散され管理しやすくなるから、という意見である。階層構造を取ることで、監督する範囲が狭まり、トップや管理職の負担は軽減される。しかし、これらの意見については、ただ中間管理職を置くメリットを挙げているだけで、伝統的なハイアラーキーの受容性が減じているという前提に合わないのではないかという反論も出た。
ここまでは、どちらかと言えば経営者層のメリットの意見が多く出たが、その後は従業員にとってのメリットに関する意見が出た。まず、社内のマネジメント層を育てることができるからという意見が出た。これは、階層構造があることで明確に管理職が存在し、それに向けた人材育成ができるためである。次に、役職があることで個人のモチベーションが上がるという意見が出た。これは、階層が上の役職があることで、出世意欲のある社員のモチベーション向上に貢献するということである。
【まとめ】
今回の議論では、「従業員目線で管理職を置くメリットがあるから」と結論付けた。理由としては、後半に出た意見が従業員目線の意見が、「新しいコミュニケーションツールが登場したことで、伝統的なハイアラーキーの重要性は減ずる」という今回の議論の前提に当てはまっていたからである。前半には経営者目線の意見も多く出たが、これらは議論の前提には当てはまらないことから、このディスカッションポイントに対する答えとはズレていると考えた。
本書では主にハイアラーキーの上の立場で議論が展開されていたが、ゼミ生の議論ではハイアラーキーの下の方の立場の意見でまとまった。経営者や管理職の目線かつ議論の前提を踏まえた意見が出れば、より本書の内容に沿った議論ができたかもしれない。
最後に、今回はディスカッションポイントの考案から議論のまとめに至るまで、多くのゼミ生の力をお借りした。ファシリテーターとして不甲斐なかったにもかかわらず助けてくれたことに感謝したい。]]>はじめての経営学 ビジネス・リサーチ (Chapter8 サンプリングー事例選択における戦略的創発を目指して)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819532023-08-01T14:09:36+09:002023-08-01T05:09:36Z2023-08-01T05:09:36Z【要約】
第8章では主にサンプリングについて書かれていた。調査研究では、特定の事例やサンプルから全体の傾向を推測することを目指す。サンプリングを行うときには、何らかの明確な方針にもとづいて、全体の傾向を代表するような事例を選び出さなくてはならない。正...studentゼミのひとコマ
第8章では主にサンプリングについて書かれていた。調査研究では、特定の事例やサンプルから全体の傾向を推測することを目指す。サンプリングを行うときには、何らかの明確な方針にもとづいて、全体の傾向を代表するような事例を選び出さなくてはならない。正確な縮図ともいえる代表的なサンプルを抜き出す必要がある。本書では統計的サンプリングにおいてサンプリングの4つの条件と基本原則について説明されている。しかし、これらのポイントをすべて実現させるのは現実的にはとても難しい。ある意味、理想論ないし難度が非常に高い努力目標でしかないとも言われている。
ただ、世の中にはこれらのポイントを踏まえていなくても、高い評価を受けている研究が数多く存在する。これを理解するためには、統計的な研究が統計的事例研究としての性格を持っている、つまり、特定の層についてのみ妥当であるという意味で事例研究としての特性を持っていることを認識する必要がある。
また、ケーススタディにおいては統計調査よりもはるかにご都合主義サンプリングがとられているように感じる研究が多い。ただ、実際には筋のいいケーススタディでも何らかしらの一定の方針をもとに最初の段階で事例選択を行い、その分析結果を踏まえて次の事例選択をしていく。計画と創発のバランスが取れた戦略的創発による事例選択を行っていることが多い。ケーススタディにおいてはステップバイステップ方式で事例を選ぶ目的志向型サンプリングが行われることが多いが統計的サンプリングと異なり、決まった定番の技法は定められていない。そのため、調査者が事例選択法を独自に開発していかなくてはならない。サンプリングを行う際は落とし穴やリスクを見極めながら適切なサンプリングを行わなくてはいけない。
【ディスカッション】
ケーススタディの事例選択について、ケーススタディにおける事例選択の方法は、無秩序・無計画であるかのように見えるが、必ずしも無方針のご都合主義サンプリングではない。(P2276,ℓ20) 筋のいいケーススタディでは何らかの一定の方針のもとに最初の段階でいくつかの事例選択を行う。そして、その分析結果を踏まえたうえで次の事例選択を行う。(P276,ℓ23) ということが書かれていた。
しかし、一番はじめの段階において一定の方針をもとに、事例(群)選択を行う際にどのようなことを意識すべきかについては書かれていなかった。そこで今回は、「最初の事例選択において、どのような点に着目して事例選択を行えばよいだろうか」をテーマにディスカッションを行った。
<条件>
RQ(なにを明らかにしたいのか)は決まっている段階
実際にディスカッションで上がった意見として、多くの共通点を持った対象を選ぶ、明らかにしたい事象について他媒体に取り上げられているところにアプローチする、まずはインタビューが聞けそうな身の丈に合った対象を選ぶ、仮説における因果関係の原因を持っている対象に聞くというようなものがあがった。媒体に取りあげられているという意見について、最初の段階でより多くの情報を得ることができると予想できるから、自分たちが調べたいことについて先駆的な取り組みを行っていることが多いからという根拠から上がったものだった。しかし、この意見に対して、逆に調査の余地がない場合もあるので、ただ取り上げられてたらいいわけではないのではないかという反対意見もあった。また、身の丈に合った対象にするという意見に対してもそれだと妥当性がないのではないかという反対意見があがり、他の意見に比べると優先順位は低いということでまとまった。
【まとめ】
今回のディスカッションにおいては、今後の事例選択につながるような対象を選べばいいのではないかという意見が多く上がった。ケーススタディの事例選択においては前の分析を踏まえて、次の対象を選ぶ方法がとられることが多い。そのため、特に最初においては、今後に繋げられるような要素を持つ対象に話を聞くことが大切なのではないかと考えた。発表担当グループで行った模擬ディスにおいては、RQを立てる際に集めた先行研究や現状の情報を利用して対象を探すというような意見が多く上がったが、今回のディスカッションでは今後につながる対象を探すという意見が多かったところは違いがあったなと感じた。
ディスカッションの反省点としては、最初の条件設定が緩かったと思う。最初の事例を選ぶという点について、一つの研究対象を選ぶのか、それとも、研究対象群を選ぶのかというところでフロアを混乱させてしまったと思う。また、そこに対して発表担当チーム内で事前に気づくことができなかったので、自分たちのディスカッションポイントを明確に説明できるような準備も必要だと感じた。これからゼミでディスカッションを行う際には、明確な条件設定ができるように心がけたい。
いいづか(3年)]]>はじめての経営学 ビジネス・リサーチ(Chapter9 測定−「数字で語る」ことの意義)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819522023-07-31T19:47:00+09:002023-07-31T10:52:21Z2023-07-31T10:47:00Z
【要約】
測定について、物理的測定と社会現象に関する測定値のあいだには幾つかの点で顕著な違いがあるが、特に精度という点に関しては、社会的測定には本質的な限界がある。また、言葉だけでなく「数字で語る」ことは、抽象的な概念をめぐる水掛論や「空中戦」を回...studentゼミのひとコマ
【要約】
測定について、物理的測定と社会現象に関する測定値のあいだには幾つかの点で顕著な違いがあるが、特に精度という点に関しては、社会的測定には本質的な限界がある。また、言葉だけでなく「数字で語る」ことは、抽象的な概念をめぐる水掛論や「空中戦」を回避する上で非常に重要な条件である。社会的測定の根底には、操作的定義という発想がある。これは、概念をそれに対応する対象を測定するための操作の手順を軸にして定義する考え方であるが、それにより定義がより客観的なものになり、また定義をめぐる混乱が少なくなることが期待される。さらに、指標や尺度の正確さについて判定する際の基準には、測定結果がどれだけ安定しているかの「信頼性」と測定の結果が測定したいと思っている対象をきちんと測っているかどうかの「妥当性」の二つがある。また、数値データの中には、さまざまな測定レベルのものが存在している場合が多い。測定レベルには、質的データとして「名義レベル」と「序数レベル」、量的データとして「間隔レベル」と「比率レベル」というような4つに区分できる。この4つのレベルの違いを見誤ると思わぬ失敗を犯してしまうことがある。
【ディスカッション】
・調査研究で分析を行うには、基本的な前提としての<モノサシが適切でありかつ精度が高いものであるかどうか>が重要(p309)
・適切さの評価には、「信頼性」と「妥当性」の2つの判断基準があり(p310)、それらが共に高い指標や尺度を目指していく必要性(p312)
<DP>
チーム研究において、妥当性と信頼性の高いデータを用いることができていないのはなぜか?
信頼性:測定値の安定性(精度)
妥当性:測定結果が、対象そのものをきちんと測っているか
ex. ビジネス英語能力を図るためのTOEICなど
主語:ゼミ生個人
状況:チーム研究
期間:インナーまでの半年間
ディスカッション内容として、いくつかの要因がブレスト形式で挙げられたが、共通の課題として、「研究の目的をしっかりと設定していないこと」と「研究内容や先行研究についての理解不足」という2つに集約された。
さらに、そのためにどんな改善方法が提示できるかを考え、結論として「リサーチ・クエスチョン(RQ)の解明が目的ということの意識を持ち、実際にデータ分析をする際には、調査レベルの問いまで回帰して深く分析すること」となった。実際に調査研究を行なっていく際には、大きな「幹」としての問いであるRQの下で行われるため、その解明を目的に置くことが妥当である。加えて、そのプロセスとして測定を行なっていく際には、インタビューをはじめとした個々のデータの分析が欠かせず、そのためには問いを細分化し、RQ を立てるに至った調査レベルの問いにまで回帰して考えることが重要である。
したがって、信頼性と妥当性がないのは、目的と内容理解の欠如が原因になり、その改善としてRQの解明への意識と調査レベルの問いまでの回帰とする。
【まとめ】
ディスカッションの反省として、指標や尺度の信頼性と妥当性というところまで深く考えることができていなかった。また、期間を指定したのにもかかわらず、それを活かした議論にすることができなかった。さらに、議論がブレスト気味になり多くの意見が出たのにもかかわらず、それを上手に活用しまとめるという作業が困難であった。
「なぜ〜」という問いにすると、その原因を探索する作業になるためブレストになりやすい。そのような議論では、意見の深掘りやロジックの否定によって議論を深化させることになるが、情報量は多くなるため担当チーム内で明確な役割分担を行う必要がある。また、原因の解明だけでは本書通りの答えになるため、わざわざ議論を行う意味が半減する。このことから、なんとかオリジナリティのある結論を導き出そうと課題の改善まで考えたものの、多少強引になってしまった点も反省すべきものである。
つぼた(3年)]]>はじめての経営学 ビジネス・リサーチ(Chapter7 リサーチ・デザイン 調査企画における計画と創発)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819512023-07-11T01:42:40+09:002023-07-10T16:42:40Z2023-07-10T16:42:40Z
【要約】
本章では、調査の基本的な構想ないし基本設計である「リサーチ・デザイン」について述べられている。その中でも前半部分では、リサーチ・デザインの大枠を決めていく上で重要な「分析図式」のうちの、ボックス&アロー・ダイアグラム型(要因関連図型と因果図...studentゼミのひとコマ
【要約】
本章では、調査の基本的な構想ないし基本設計である「リサーチ・デザイン」について述べられている。その中でも前半部分では、リサーチ・デザインの大枠を決めていく上で重要な「分析図式」のうちの、ボックス&アロー・ダイアグラム型(要因関連図型と因果図式型)についてが述べられているのである。要因関連図は、調査の初期段階で行われ、具体的な調査課題をリストアップしていく上で非常に効果的である。また因果図式は、重要であると思われる変数に絞った図解を通して、データの収集と分析を進めていく際の方向性を明確にできることが利点として挙げられる。
【ディスカッション】
今回は「なぜ中野ゼミでは『何で何を明らかにしたいのか』を明確にできていないのだろうか。」というディスカッションポイントのもと議論を行った。一つ目の「何で」は、視点や理論のこと、二つ目の「何を」は、RQで明らかにしたいこと、を示している。
本章の前半では、要因関連図と因果図式について述べられている。要因関連図は、自由な発想で調査課題をリストアップしていく上で非常に効果的である反面、分析の焦点が曖昧になってしまうといった限界を持ち合わせている。そのため次のステップである「因果図式」に移行する必要がある。因果図式では、原因と結果の関係に関する分析の焦点を明らかにするための作業が行われ、要因関連図の時点では明らかになっていなかった「何で何を説明するのか」という点が明確に浮かび上がることとなる。この「何で何を説明するのか」という観点は、私たちと関係のないものでは無い。「結局君たちは、何を明らかにしたいの?」といって、研修発表に対する先生からのご指摘として頻繁に受けるものとなっている。つまり、私たちは「何を何で明らかにしたいのか」を分からないまま研究を進めていってしまっているのだ。今回はこのような背景から、中野ゼミ生が「何で何を明らかにしたいのか」を明確できていない要因を探っていく議論を行った。
議論を進める中でゼミ生から、3つの段階に分けた意見が出てきた。まず1つ目は現状把握が足りていない、という意見である。現状・実態をしっかりと捉えることができていないことによって、そもそもどの視点・どの理論で研究を進めていけば良いのか分かっていない、という意見内容だ。2つ目は、どのような先行研究を持ってくれば良いのかが分からないまま、先行研究の探索を行ってしまっているという意見である。視点が定まる前に先行研究の探索を行ってしまうことで、実際持ってきた先行研究が甘いものになってしまったり、先行研究の理論的背景を汲み取ることができていない。そして3つ目の意見は、先行研究を探索・読む際に、対象のテーマの論文しか読んでいない、という意見である。同じテーマの論文であっても論文ごとに、理論は違うものになっている。そのため色々な論文を読むことで、理論について学習し、検討する必要があるのだ。
【まとめ】
今回は、「なぜ中野ゼミでは『何で何を明らかにしたいのか』を明確にできていないのだろうか。」というディスカッションポイントに対して、3つの段階に分けた意見が出た。この3つの意見は、それぞれ分けて考えるものではなく、段階的なプロセス上に潜む課題であり、1つずつ順番に対処していく必要がある。発表担当で事前に行った模擬ディスカッションでは、2つ目と3つ目の意見に重なるような意見が出ていた。具体的には、そもそもどのような先行研究を探索すればよいのか分かっていない。RQで明らかにしたいことが、どのような理論に結びついていくのか分からない。といったような意見である。本番のディスカッションでは、模擬ディスカッションの際には出なかった、研究の基盤となる「現状把握」の部分に関する意見が出てきたことが、違いであり、良かった点であると考える。研究を行う上で現状把握が足りていないと、イメージだけで研究を進めることになり、どの視点・理論でみていけば良いのか分からなくなってしまうのである。
これから研究を行っていく際に、「何で何を明らかにしたいのか」を明確にするためには、段階的に潜んでいる3つの要因に対してアプローチする必要がある。
おだみや(3年)]]>はじめての経営学 ビジネス・リサーチ(Chapter7 リサーチ・デザイン 調査企画における計画と創発)http://toyoblog.nakano-seminar.jp/?eid=8819502023-07-11T01:42:40+09:002023-07-10T16:42:40Z2023-07-10T16:42:40Z
【要約】
本章では、調査の基本的な構想ないし基本設計である「リサーチ・デザイン」について述べられている。その中でも前半部分では、リサーチ・デザインの大枠を決めていく上で重要な「分析図式」のうちの、ボックス&アロー・ダイアグラム型(要因関連図型と因果図...studentゼミのひとコマ
【要約】
本章では、調査の基本的な構想ないし基本設計である「リサーチ・デザイン」について述べられている。その中でも前半部分では、リサーチ・デザインの大枠を決めていく上で重要な「分析図式」のうちの、ボックス&アロー・ダイアグラム型(要因関連図型と因果図式型)についてが述べられているのである。要因関連図は、調査の初期段階で行われ、具体的な調査課題をリストアップしていく上で非常に効果的である。また因果図式は、重要であると思われる変数に絞った図解を通して、データの収集と分析を進めていく際の方向性を明確にできることが利点として挙げられる。
【ディスカッション】
今回は「なぜ中野ゼミでは『何で何を明らかにしたいのか』を明確にできていないのだろうか。」というディスカッションポイントのもと議論を行った。一つ目の「何で」は、視点や理論のこと、二つ目の「何を」は、RQで明らかにしたいこと、を示している。
本章の前半では、要因関連図と因果図式について述べられている。要因関連図は、自由な発想で調査課題をリストアップしていく上で非常に効果的である反面、分析の焦点が曖昧になってしまうといった限界を持ち合わせている。そのため次のステップである「因果図式」に移行する必要がある。因果図式では、原因と結果の関係に関する分析の焦点を明らかにするための作業が行われ、要因関連図の時点では明らかになっていなかった「何で何を説明するのか」という点が明確に浮かび上がることとなる。この「何で何を説明するのか」という観点は、私たちと関係のないものでは無い。「結局君たちは、何を明らかにしたいの?」といって、研修発表に対する先生からのご指摘として頻繁に受けるものとなっている。つまり、私たちは「何を何で明らかにしたいのか」を分からないまま研究を進めていってしまっているのだ。今回はこのような背景から、中野ゼミ生が「何で何を明らかにしたいのか」を明確できていない要因を探っていく議論を行った。
議論を進める中でゼミ生から、3つの段階に分けた意見が出てきた。まず1つ目は現状把握が足りていない、という意見である。現状・実態をしっかりと捉えることができていないことによって、そもそもどの視点・どの理論で研究を進めていけば良いのか分かっていない、という意見内容だ。2つ目は、どのような先行研究を持ってくれば良いのかが分からないまま、先行研究の探索を行ってしまっているという意見である。視点が定まる前に先行研究の探索を行ってしまうことで、実際持ってきた先行研究が甘いものになってしまったり、先行研究の理論的背景を汲み取ることができていない。そして3つ目の意見は、先行研究を探索・読む際に、対象のテーマの論文しか読んでいない、という意見である。同じテーマの論文であっても論文ごとに、理論は違うものになっている。そのため色々な論文を読むことで、理論について学習し、検討する必要があるのだ。
【まとめ】
今回は、「なぜ中野ゼミでは『何で何を明らかにしたいのか』を明確にできていないのだろうか。」というディスカッションポイントに対して、3つの段階に分けた意見が出た。この3つの意見は、それぞれ分けて考えるものではなく、段階的なプロセス上に潜む課題であり、1つずつ順番に対処していく必要がある。発表担当で事前に行った模擬ディスカッションでは、2つ目と3つ目の意見に重なるような意見が出ていた。具体的には、そもそもどのような先行研究を探索すればよいのか分かっていない。RQで明らかにしたいことが、どのような理論に結びついていくのか分からない。といったような意見である。本番のディスカッションでは、模擬ディスカッションの際には出なかった、研究の基盤となる「現状把握」の部分に関する意見が出てきたことが、違いであり、良かった点であると考える。研究を行う上で現状把握が足りていないと、イメージだけで研究を進めることになり、どの視点・理論でみていけば良いのか分からなくなってしまうのである。
これから研究を行っていく際に、「何で何を明らかにしたいのか」を明確にするためには、段階的に潜んでいる3つの要因に対してアプローチする必要がある。
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