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原因を推論する 第2章 科学の条件としての反証可能性

 本書p41 文化論的説明の論理的問題においてステレオタイプが挙げられている。そこで、今回は「ステレオタイプから抜け出すにはどうしたらいいのか。」についてデスカッションを行なった。また、本書におけるステレオタイプと私たちのステレオタイプの2つの面から議論が進められた。

 まず、本書におけるステレオタイプを抜け出すにはどうしたらいいのかを議論した。ここでは主に3つの意見が出た。一つは、現地に赴いて情報収集をすることだ。インターネットや他人から情報を聞くことには限りがあり、偏りがある。また、噂が広まることで信憑性に疑問が残ってしまう。これらが要因となってステレオタイプになる。しかし、実際に現地に行き、自分の目で見たり聞いたりすることで確からしい情報を得ることができる。結果、ステレオタイプの正誤を見極めることができるようになる。二つ目は、主語を特定の個人にすることだ。主語が複数人(ex.アメリカ人)をあらわしていると、大多数の人(ex.他のアメリカ人)も同じイメージになってしまう。そこで、主語を特定の個人にすることで、その個人だけのイメージができ、ステレオタイプに陥ることがなくなる。三つ目は、文化に定義づけをすることだ。二つの文化を説明する際に、文化背景が異なることから文化ごとにステレオタイプができてしまうことが問題であった。そこで、文化背景から共通の軸を見つけ、定義づけすることでステレオタイプに陥らないだろうという意見が出た。なぜなら、どこかで定義づけを行わなければ反証不可能になり、文化論的説明ができないからだ。しかし、文化の定義づけは可能なのかという疑問が出された。そもそも国ごとで生活様式や文化が異なるため、共通項は見つけられないとの意見が出た。ただ、文化の定義づけを行わなければステレオタイプを抜け出すことができない。文化の定義づけとステレオタイプを抜け出すことで議論が迷走し、それ以上の意見は出てこなかった。

 一方で、私たちのステレオタイプを抜け出すにはどうしたらいいかを議論した。この議論では最初の議論に似た意見が出た。まず、自分の目で見て確かめることだ。足を使い、自分の目で見ることで多様な見方ができる。また、人それぞれで知識の多さや深さは異なる。知識が少なく浅ければ、知らないことが多いためにステレオタイプに頼ってしまう。そのようにステレオタイプにならないためにも自分の目で確かめることは必要だと言う意見になった。また、確からしいデータを集めると言う意見が挙がった。自分で見て確かめることも必要であるが、公的機関や企業の調査データなどの信頼性のあるデータを集めることでステレオタイプとは違うことが見つけられるだろうと言うことだ。さらに、「みんな」、「ほとんど」などの同調表現をなくすと言う意見が出た。同調表現を用いることで周りも同じであるという認識が生まれ、ステレオタイプができてしまう。そこで、周りに流されないように同調表現をなくすべきだと言うことだ。結果、個人個人の意見が生まれ、ステレオタイプにはならないだろう。しかし、議論を進めていく中で、ステレオタイプは抜け出せないとの意見が出た。なぜなら、個人個人で育った環境が異なるからである。育った環境が同じであれば、考えに共通項を見つけ出しステレオタイプの正誤を図れるだろう。だが、育った環境が違えば考えも違うため、共通項が見つけにくく、ステレオタイプの正誤の判断が難しくなり抜け出すことができないと言うことだ。

 二つの議論から、現地に足を運び確からしいデータを集めることが、ステレオタイプを抜け出すことができるとの結論に至った。これは二つの議論に共通することであり、私たちが今後ステレオタイプに陥らないようにするために必要なことであるだろう。しかし、文化の定義づけや育つ環境の違いからステレオタイプを抜け出すことは難しいとの問題もあった。ステレオタイプはどこのレイヤーで見るかで変わってくる。つまり、ステレオタイプを抜け出すには、一定の条件づけをすることが必要である。

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