原因を推論する 第8章 分析の単位、選択のバイアス、観察のユニバース

因果関係を推論する上では分析の単位、選択のバイアス、観察のユニバースを慎重に検討することが重要である。この選択を間違えてしまうと対象にバイアスが生じてしまったり、他の変数を統制できなかったりして、正しく因果関係を推論できない可能性があるからだ。このように正しい因果関係を導き出すためには、数ある共変関係の中から1つの因果関係を見つけなければならない。この共変関係が、バイアスがなく、他の変数も統制され、時代やコンテクストも適しているものかを検討する方法が本書では書かれているのだ。

 このように数ある共変関係は確かに数多く存在する。しかし、第5章で詳しく述べられていた通り、共変関係を確認するのも非常に大変なのである。この共変関係は因果関係が確認されたら無価値になってしまうのか。今まで共変関係について様々な議論がされてきたが、この共変関係というものの価値をゼミ生一人一人はどのように考えているのかを今回のディスカッションテーマとした。

 今回のディスカッションは、価値を問うという難しいものに設定してしまったが故に議論が錯綜してしまった。様々な前提をしっかりと決めるのがベストではあるが、共変関係の価値の指標は人によって違うのではないか、前提を決めると意見が偏ってしまうのではないかと考え、あえてぼんやりとしたテーマにした。意見としては、共変関係の最大の価値は、その因果関係はこの共変関係とは関係ないということが発見されたことであるというものだった。そもそもの目的は、因果関係を推論することである為、この意見に納得する人は多かった。では、因果関係が確認された時点で共変関係の価値は消失してしまうのだろうか。これは意見が2つに割れた。1つ目は、因果関係は確認されなかったかもしれないが世の中は全て因果関係で成り立っているわけではなく、共変関係も様々な場面で使うことができ、価値はあるという意見。一方で、因果関係に成り立たないような共変関係はそこら中に溢れており、使い道が無いため価値はないのではないかという意見もあった。ここでは、使い道という定義をしっかりしなかった為に議論のレイヤーがずれてしまった。また、価値ある派の意見の中でも根拠や信頼性は薄い為、口には出せるが文字には残せないなど、価値の度合いが人それぞれ違うことがうかがえた。

 共変価値の価値は一人一人違うため、決して1つに決められるものではない。また、価値判断というディスカッションにはそぐわない題材を持ってきてしまったが故に、うまく議論は進まなかった。しかし、どのようなデータを使うのか、どの情報を信じ使うのか、今回のディスカッションを経てより情報の信憑性に敏感になったという上では、少しは意味のあるものになったのではないだろうか。

さわだ(3年)

原因を推論する 第5章 共変関係を探る

 因果関係の推論の多くの場合は従属変数の変化や違いが何によって生じたのか、と考えることからスタートする。しかし、因果関係を推論するのは、変化や違いを知るという作業を行った上ではじめて行うことができるのであり、その前提となる変化や違いの存在それ自体を慎重に確認する必要がある。その変化や違いの存在を見ていく手段の1つとして、帰無仮説を用いた検証方法がある。仮説検定の対象となるのは帰無仮説でもし帰無仮説が棄却されれば、対立仮説が支持されることになる。そして棄却するかしないかの際に使うものが有意水準である。有意水準より小さければ帰無仮説は棄却され、逆に大きければ帰無仮説は棄却されない。しかしこの基準は絶対的なものではない。帰無仮説が実際には真であるのに棄却されてしまう(第1種過誤)場合や、逆に帰無仮説が偽であるにもかかわらずそれが真として棄却されない(第2種過誤)場合もある。あくまで今ある論争を終わらせるための1つの手段なのである。

 そこで、仮説検定によってでたデータがどれほど有効的なものかを見ていくために、ゼミを例にディスカッションを行うことにした。前提として、今現在中野ゼミには発言回数が少ないことによって、ゼミが活性化していないという現状がある。その要因として、|暴の発言回数の差学年の発言回数の差の2つがあがってきたとする。データを見る前のゼミ生のイメージでは、〆垢呂覆き∈垢あるとなったが、データを元にカイ2乗検定を行ってみたところ、〆垢ある∈垢ないという結果になった。これらを踏まえた上で、現状を改善するための策を考えていく場合、自分たちのイメージとは乖離している計算結果と自分たちの中のイメージのどちらを元に考えていけばよいのかをディスカッションすることにした。

 データ派の意見としては、データ化されていることから客観的に問題を捉えることができることや、なによりもイメージよりは信憑性があることから、ほぼ確実に問題の原因を解決できるといった意見が多かった。逆にイメージ派の意見としては、今後の改善策を考えていく上で、イメージがあるほうが納得しやすい改善策が出やすく、その改善策を実行する気にもなるということであった。また活性化され、問題が解決した時の達成感も大きいと感じるといった意見も多かった。最初は意見がほぼ半々であったが、議論をしていくうちにデータ派の人が増え、結局最後はデータ派が22人、イメージ派は2人となった。データ派の意見が強くなったのは、少ないとはいえども、ゼミ生約30人の意識を統一しなければなかなか話は進まない。仮説検定の統計ではあるものの、データという1つの指標があるかないかでは大きく変わってくるということであった。

 とはいっても、仮説検定のデータは絶対的なものとは決して言えない。全数調査やそうとは言わないまでも、出来るだけバイアスのかかっていない正確なデータを使うこと、仮説検定よりもきちんとしたデータがあるならばそれを優先的に使うように心がけることが、なによりも大切なのである。あくまで仮説検定によってデータを出すのは、どうしても終わらせなくてはならない論争のときに限るのである。

ふじさわ(3年)

原因を推論する 第6章 原因の時間的先行

 本章P117では、優良企業を説明する際に集めたデータの大半は雑誌や新聞や企業の刊行物からなりもので、ハロー効果で歪められているおそれがある。また、経営者にインタビューをしてもハロー効果に影響されやすい、という。そこで、私たちはチーム研究でインタビューを行う際に、どうすればハロー効果の影響を回避できるかをディスカッションのテーマにした。これだけでは議論がしにくいと考えたので、三つの前提を提示した。一つ目は、インタビューに行く私たちはハロー効果の影響を受けていること。二つ目は、ここでの企業とは○○業界の中で1位のような企業であること。三つ目は、ここでのハロー効果を回避とは、効果を弱めるという意味であること。四つ目は、このディスカッションの目的としてインタビューは、優良企業であるかを明らかにする話しではない。どのようなインタビュー方法をするか、準備をすればハロー効果を回避できるかである。これらを踏まえて議論を行った。
 
 はじめに意見があまりでなかったので、こちらからインタビューに一回だけでなく、複数回行くことを提案した。なぜなら、私たちはハロー効果にかかっているので、一回のインタビューでは経営者からの話しを鵜吞みにしてしまいがちと考えたからである。それに対してフロアからの複数回インタビューを行っても、ハロー効果を受けているから意味がないのではないか、という意見が出た。それに対して、常にインタビュー相手に対して疑問を抱くという意見がでた。複数回行くだけならハロー効果を受けてしまうだけかもしれないが、その都度疑問を抱けば、ハロー効果を回避することができると考えるからである。

 次に、その企業にインタビューするのではなく、同じ業界の2、3位に聞いてみるという意見がでた。その企業に聞くよりは客観的に意見を聞くことができるので、回避することができると考えるからである。回避するという点で、他社に聞くのではなく経営者のトップじゃない人に聞くという意見もでた。例えばトップがいない時に、同じ質問を社員にしたら違う意見が出てくるかもしれないからである。しかし、その企業自体にハロー効果がかかっているので、社員だからといって回避することは難しいという反対意見もあった。

 他の意見として有価証券報告書を事前に見ておき、自分たちで推測したりするという意見があった。これを行うことで自分たちの中で何が本当なのかを考えることができ、すべて鵜吞みにすることはなくなるからである。他にも企業についての情報を集めて年表を作ってみるという意見もでた。事前にその企業について理解しておけば話しを鵜吞みにすることなくなるからである。この意見に付随して、成功の要因を聞くだけでなく、うまくいかない点があったそこも聞いてみる、というのもでた。あえて同じ業界でうまくいっていないところにインタビューし、なぜ対象の企業がうまくいってるかを考察すれば回避できるという意見もあった。
 
 以上のようにハロー効果を弱めるために様々な意見が出て議論を行った。議論を通してハロー効果を回避するためには、インタビュー前の準備が大事である。その企業に対して、何をやっていたか、現在何をしているか、創業から現在までの事実を知ることがハロー効果を回避することにつながると考える。この議論は今後のインタビューだけでなく、卒論や就職活動にまでつながると考え、今後に役立てたい。

よしかわ(3年)

原因を推論する 第3章 観察、説明、理論

 本書では、タイトルにあるように固有名詞を捨てる意味について述べられている。また、本章p.51では、リフォード・ギアツによって提唱された一般化に対する批判について記述されている。クリフォード・ギアツは、現実の社会や歴史を一般化し単純化することへ批判しており、その意味を他者に理解できるように描く分厚い記述の重要性を主張している。つまり、観察対象から固有名詞を排除して、一般的・理論的に説明しようとする試みを批判すべきものとしているのである。

 ここで、対象を人間とした場合に固有名詞をどのくらい重視すべきなのか、疑問に思いディスカッションのテーマとした。この課題を解決するプロセスとしては、まず、ゼミ生全員になぜコミュニケーションができないのかアンケート調査を行う。次に、その結果に基づいて以下の二つからマネジメント方法を考える。仝罵名詞で見る:アンケートに基づいてゼミ長自ら一人一人にアプローチをしていく。 抽象化・単純化して見る:アンケートを抽象化され単純化し、ゼミ生全員に解決策を提示する。さらに、ディスカッションの前提条件として、4点設定した。 ー分自身が30人規模のゼミ長であると仮定する。(期間は1年間) ▲璽濱犬漏Д灰潺絅縫院璽轡腑鵑靴燭い韻匹任てきない状況、またその原因は個人にある。 その人自身の問題が解決されることを目指す。 ぅ▲鵐院璽箸硫鹽項目は一人ひとつとする。

 意見としては、「固有名詞で見る」と考えた人から、ひとりひとりの背景を知ることで根本的に問題を解決することができる。次のゼミ長に引き継いで貰えば1年という期間を考慮する必要がなくなる。個々のコミュニケーションから始めていけば調和が生まれる。などの意見があった。一方で、「抽象化・単純化して見る」と考えた人からは、ゼミ長の負担を軽減することができる。ゼミ全体で共有することでのコミュニケーションが生まれる。1年という期間を考え、短期的に効果の見込める方を選択すべき。などの意見があった。
また、「固有名詞で見る」と「抽象化・単純化して見る」以外の意見としては、そもそもこの解決すべき人物はゼミ長である必要はないのではないか、ゼミ長が他のゼミ生に託すなどの分担を行うなどの意見が見られた。最後に多数決を行ったところ、「固有名詞で見る」が8名、「抽象化・単純化して見る」が16名だった。

 わたし個人の意見としては、対象を人間とした場合に抽象化・単純化する必要はなく、固有名詞で見た方がゼミ生へのアプローチとしては相応しくゼミ生の意見も「固有名詞で見る」が多いのではないかと考えていた。その人ひとりひとりの理解を深めてアプローチを取ることがゼミナールにおいてコミュニケーションの問題を解決することに繋がっていくのではないだろうか。また、今回のディスカッションポイントに中野ゼミという言葉を入れなかったのは、ゼミ長ひとりが必ずしもこの問題を解決する必要はなく、ゼミ生皆がその意識を持つことが大切であるという考えがあったからである。1年という期間が短いため、抽象化・単純化した方が良いという意見もあったが、皆がその意識を持つことで皆1年という期間に制限される必要はない。今後、ゼミ生皆にこのような意識を持ってもらいひとりひとりの理解を深め、積極的にアプローチをして欲しい。

きむら(3年)

原因を推論する 第4章 推論としての記述

 本章p78で質的研究では研究対象に「ドップリ浸り」、多くの観察可能な含意を確認する佐城が必要である。しかし、自らの研究対象にドップリ浸りすぎてしまうことで周りが見えなくなり、不正確な思い込みに基づき事実認識をしてしまうことがあると述べられている。そこで、今回は「量的研究においても研究対象にドップリ浸る必要があるのか」についてディスカッションを行った。量的研究とは、複数のサンプルからデータを収集し、事象を数値化し、統計的に分析する方法である。また、今回の議論でドップリ浸るとは、「自分の研究対象について深い理解を持つこと」定義した。

 まず、量的研究においてドップリ浸るとはどういうことなのかについて議論が行われた。量的研究の具体例として、大学の教授が自分の担当する授業の受講者の授業満足度と参加率についてという調査を統計的に分析する場合についてとりあげた。ここでのドップリ浸る対象者は授業の受講者全員を指す。これを踏まえ、調査に基づいた分析結果について考察するだけではなく、研究対象者である受講者に対してさらに深い理解を持つために研究を行うことが量的研究においてドップリ浸ることであると意見が出た。

 ここまでの議論を踏まえ、ドップリ浸る必要があると考える意見では主に3つの意見が出た。一つ目は、自分の研究対象をより深くみていくことで研究のなかででたデータをさらに有効的に活用する方法をみつけることができるという意見である。研究対象の性質や特性なども考慮して研究をしていくことでさらに良い研究になるということふことが必要であるためという意見である。三つ目は、統計的に出された結果だけではなく、現実の実態についてもより見ていく必要があるという意見である。統計的に有意であると結論付けられた研究であったとしても、現実のとは違うのではないかと疑問に思う場合がある。そのため統計のよって出された結果をだけではなく、研究対象についても深い理解を持ったうえで研究をすることが必要である。

 一方、ドップリ浸る必要がないと考える意見として2つの意見が出た。一つ目は、量的研究では正確な数値の統計データや分析必要になるためデータに対して詳しい理解は必要であるが、研究対象にはドップリ浸る必要はないという意見である。二つ目は、ドップリ浸ってしまうと周りが見えなくなってしまい、研究対象が特殊であると不正確な思い込みから事実の認識をしてしまう場合があるため、数値を扱う量的研究においてはドップリ浸るべきではないという意見である。

 最終的にゼミ生に多数決を取ったところ、量的研究においては研究対象にドップリ浸る必要はないという人が多かった。中野ゼミナールでは質的研究と量的研究を合わせて現象を明らかにしていく研究が行われる場合も多い。量的研究で行われる統計的な調査では検証し、結果が出た場合そのままで終わらせてしまうことがある。その結果を鵜呑みにせず、なぜそのような結果が出たのかという疑問をもち研究対象についても深くみていく必要がある。一方で、研究対象が他と比較してどのような特色を持つのかについて調べていくためにも研究対象にドップリ浸らず客観的視点をもって研究を行っていくという二つの視点が研究においては重要である。

よこせき(3年)

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